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新・農業経営者ルポ

キタアカリやトヨシロを生んだ元育種家の父の教えを守り、ひたすらおいしさだけを追求

新規就農のパターンは数あれど、親が育種家だったケースはまれだろう。北海道千歳市の梅村拓(48)の父・芳樹は、ジャガイモのキタアカリやトヨシロなどの育成にかかわった人物だ。拓が農業に目覚め、芳樹と歩んだ期間はごく限られたものだったが、芳樹が作っていたおいしいジャガイモや野菜を再現したいとする取り組みは実を結んだといってもいい段階にまで来た。商売っ気のなかった父の気持ちもストレートに入った作物は、営業せずとも売れる人気商品になっている。 文/永井佳史、写真/(株)山ト 小笠原商店通販部「北海道お土産探検隊」、梅村拓
「梅村芳樹」とだけ聞いて誰だかわかる人はあまりいないだろうが、キタアカリやインカのめざめ、トヨシロ、コナフブキという名称を挙げればそれがジャガイモの品種を指すものだと合点するはずだ。これらの品種を育種家の一人として世に送り出したのが梅村その人になる。生食用のキタアカリこそ海外からの導入品種である男爵薯とメークインの牙城を崩せずに3位に甘んじているものの、加工用のトヨシロとでん粉原料用のコナフブキは各用途内で堂々1位のシェアを誇る。
日本のジャガイモ業界のいわば神様のような存在の梅村は退官後の2006年、70歳の若さで他界している。晩年は自ら育成にかかわった品種のほか、野菜の栽培を楽しんでいたそうだ。セミナーの講師に招かれる際は、料理の時間も設けないと引き受けなかったということから察するに、公的機関の育種家にありがちな普及のことなど知らないといった態度ではなく、消費と生産の両面を大切にしていたことがうかがえる。ポテトチップ用のトヨシロにしても、梅村がカルビーの社長室に直撃し、リュックサックから取り出した現物を手に熱っぽく売り込んだことが今日の発展に結びついたという逸話が残っている。
そんな梅村が家庭菜園で作っていたジャガイモはおいしくないわけがない。実際、それを食べて虜になった人物が今回の主人公になる。

病に倒れた元育種家の
父が作るジャガイモを
これからも食べたいと、
脱サラして就農

「お父さんの芳樹さんは……」
昨年12月、梅村の長男である拓と札幌の地下街の喫茶店で会った。11年に別件で取材したことがあったため、5年ぶりの再会だった。失礼ながら前回も同じ切り出しで話を聞き始めたように記憶している。ジャガイモ専門誌『ポテカル』の編集者でもある筆者にとって、芳樹への興味は尽きることがなかった。
現役時代の芳樹は、ジャガイモに限らず、サツマイモやキャッサバといったイモ類を研究対象にしていた。当然、赴任先は国内各地、果てはコロンビアやタイなど外国にまで及んだ。ただ、拓は札幌近郊で暮らすことが長く、サツマイモの関係で高校の3年間のみ鹿児島で生活を送った。

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