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【亜麻物語】
亜麻の栽培法(1)――播種・施肥
- 農学博士 村井信仁
- 第2回 2017年03月03日
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第1期=ロシア種・ベルギー種 北海道の亜麻作は、フランスとロシア産の種子を輸入することから始まっている。当時は品種と言うよりも、産地名で呼ばれることが多かったようである。フランス産の種子はベルギー産であったので、ベルギー種と呼ばれた。
ロシア種(1号種、ベルノー種、リガ種)はベルギー種(2号種)に比較して草丈が高く、品質はよかったが、子実の収量は低かった。両種ともに2~3年で退化し穂揃いが悪くなった。この対策は抜穂であった。明治28年(1895)に丘珠(おかだま)(現:札幌市)の後藤弥右衛門の抜穂種が亜麻茎品評会で優秀と認められた。その後、篤農家によって幾つかの抜穂種が育成されて栽培が続いた。この品種は大正時代の末期まで主流であった。
第2期=サギノー種
大正8年(1919)にアメリカからワシントン種を持ち込むことができた。試作すると、草丈が1.35mと高く、これを増殖することになった。先方の育種家がもっとよい品種があるとサギノー種を送ってきた。内容が優れていることから大正13年(1924)に9000リットルの種子を発注した。180リットル200円であったので、一般の種子の10倍の破格の値段であった。
種子には多少問題があったが、抜穂するなどで対策した結果、多収で耐病性に優れていることが認められ、その後、全道に普及した。
第3期=ベルノー1号種
北海道農業試験場が大正8年(1919)からロシア種の淘汰を開始し、大正15年(1926)に固定させた我が国最初の純系種である。草丈が高く、穂揃いがよかった。繊維は良質で歩留まりが高かった。子実収量が少なく、耐病性に若干劣る傾向はあったが、昭和7年(1932)ごろから約20年中心的品種となった。
第2期=サギノー種
大正8年(1919)にアメリカからワシントン種を持ち込むことができた。試作すると、草丈が1.35mと高く、これを増殖することになった。先方の育種家がもっとよい品種があるとサギノー種を送ってきた。内容が優れていることから大正13年(1924)に9000リットルの種子を発注した。180リットル200円であったので、一般の種子の10倍の破格の値段であった。
種子には多少問題があったが、抜穂するなどで対策した結果、多収で耐病性に優れていることが認められ、その後、全道に普及した。
第3期=ベルノー1号種
北海道農業試験場が大正8年(1919)からロシア種の淘汰を開始し、大正15年(1926)に固定させた我が国最初の純系種である。草丈が高く、穂揃いがよかった。繊維は良質で歩留まりが高かった。子実収量が少なく、耐病性に若干劣る傾向はあったが、昭和7年(1932)ごろから約20年中心的品種となった。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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