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亜麻物語

亜麻の栽培法(1)――播種・施肥


第4期=サギノー1号種・2号種
サギノー1号種は北海道農業試驗場がサギノーを大正13年(1924)から改良し、昭和10年(1935)に優良品種に決定したもので耐病性に秀れていた。サギノー2号種は昭和4年(1929)から淘汰に着手したワシントン種から固定した。昭和12年(1937)に優良品種に指定された。繊維歩留まりのよいのが特徴であり、終戦後から約10年広く作付けされた。
第5期=ウイラー種
昭和24年(1949)から関係者がオランダやベルギーから20数種の品種を導入した。ウイラーはオランダの育成種で昭和13年(1938)に交配。昭和26年(1951)に登録されたものである。高品質で、耐病性に優れ、多窒素栽培でも茎葉は倒伏することがなく、機械抜き収穫に適していた。安全多収の実用的な品種として評判がよかった。
昭和31年(1956)には、オランダで作付率91%を占めていた。オランダでこのような優良品種が育成されるのは、品種改良が民間で自由に行なわれ、登録された品種には特許制度が適用されて育種家が保護されるシステムによるところが大きい。ウイラーは昭和32年(1957)以降の主品種であった。参考までに品種試験例を表1に示した。

(2)播種法

初期の播種機
北海道庁は明治19年(1886)に発足しているが、殖産興業の手始めとして大麻の栽培加工を採り上げた明治20年(1887)に資本金80万円で北海道製麻を設立した。札幌の北6条東1丁目に製麻工場を建設し、まず大麻の製麻の合理化に着手した。次いで明治22年(1889)に最初の亜麻工場である雁木製線場を建設した。コンスタン-オイブレヒトの指導のもとに亜麻の栽培が始まる。
当時はまともな道具もない時代であり、コンスタン-オイブレヒトに従って手播きの散播であった。欧米ではバイオリン式散播機やカフーン式散播機を使用していたので、これ を導入しようとしたが、思うようにはならなかった。
明治40年(1907)に至って帝國製麻の鈴木鈴馬がベルギーに出張した際にバイオリン式を1台買い求めて帰国した。極めて単純な構造であったので、当時の我が国の技術力でも製作できる内容であった。さっそく模造したものを各工場に配布して利用を奨励している。
時間当たりの播種能率は1.0~1.5haであり、人播きの10倍の能力であったと言われる。請負で播種作業も行なわれたが、10a当たり15銭であった。日本人は物真似が上手だとされるが、日本人の場合、単純ではなく、必ずその上に何か新しい自分なりの技術を加えるものである。必ずしも模倣ではない、あれは発明の領域であると逆に評価されることが多い。

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