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亜麻物語

亜麻の栽培法(1)――播種・施肥


開拓農家は施肥に対しては知識も乏しく、経験も少ない。不特定多数の農家でも安定して施肥効果を高めようとすれば、亜麻工場はいろんな研究を重ねて配合肥料を製造し、これを配布する方式を考えた。
帝國製麻の配合肥料の例を表5に示す。施肥は収量ばかりでなく繊維の品質にも密接な関係があることが分かりはじめ、明治後期から体系的に研究するようになった。岡山県の日本肥料は桑用完全肥料を製造していたので、これを取り寄せて大正5年(1916)から各工場で実証試験を開始した。大貫吉之助がこれらを取りまとめて大正13年(1924)に亜麻肥料を完成させた。

配合肥料による栽培安定化
この肥料は繊維の品質・歩留まり向上に焦点を合わせ、亜麻の栄養周期に合わせ、必要な要素を吸収できるように工夫した。発酵米糠を配合したのは実験結果に基づくものである。この肥料は時代で内容に変化はあるが、大正15年(1926)から昭和29年(1954)まで使われている。相当実験を重ねた結果であると思えるが、発酵米糠を配合しているのはユニークである。
米糠は野菜などの有機栽培などに使われて、独特の味覚に結び付いていることが知られている。ただし、生のままで施用すると害虫を呼び寄せるので問題視された。そこでボカシと呼ばれるが、一次発酵処理が不可欠になっている。軽く発酵処理すると、害虫が寄ってくることはない。これは発酵と腐敗の違いである。大豆粕や魚粕は製造過程で熱処理されていれば、圃場で速やかに発酵し、作物に吸収されるので問題はなかった。亜麻に合理化された配合肥料を使うというのは、帝國製麻の功績と言えよう。
第二次大戦後、我が国は工業が発達し、その副産物として化学肥料が容易に使用できるようになった。造粒した化成肥料が販売されるようになるが、作物別・土性別に理想的な要素量の配合比率にして農家に使いやすくしている。こうした化成肥料の出現は、亜麻工場の配合肥料の発想が基礎になっていると思える。
亜麻工場は化成肥料の研究も早く、友田五郎が水耕栽培で基礎研究を重ねて昭和30年(1955)に亜麻用化成肥料を実用化している。亜麻栽培が安定化したことは言うまでもない。企業努力が実を結んでいる。

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