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新・農業経営者ルポ

農業者のための会社をつくりたい


高山によると、ベビーリーフの先進地である欧米でその栽培が始まったのは約25年前。そのころから欧米の農場や外食産業を視察していた高山は、同地で人気が出ているベビーリーフが日本にも根付くと見た。栄養素の含有量が多く、見た目もきれいで、単位面積当たりの売り上げも高かったからだ。そこで帰国後、国内の外食産業に触れ回って歩いた。
「サイゼリヤに持っていったら、当時の社長がこれは面白い、やってみようかという話になってね。ドトールの関係者にも話したら、面白いねと話に乗ってきた。日本ではまだ栽培していないし、これは金になるかなと」

苦心惨憺の出足

そこで、日本でその作り手を探し始める。そんなある日、取引先である川田研究所でも「ベビーリーフの栽培をやってくれる人を誰か紹介してよ」と話を持ちかけたところ、「僕がやります」と真っ先に手を挙げたのが勤務していた木村だった。当時、木村は同研究所の社長の娘と結婚したばかり。高山が当時を振り返る。
「(木村さんに)やるんかといったら、やりますと。反対したのは(川田研究所の)川田先生。娘はどうなるんだと」
義父から反対されたものの、木村はなんとか理解を得て、ベビーリーフの生産に乗り出す。とはいえ予想したとおり、それからの道のりは大変だった。まず個人資金は50万円しかない。運送業者の深夜の仕分け業務と新聞配達を1年近く続けて貯蓄したほか、農業経営開始資金1260万円でなんとか都合をつけ、生産に乗り出した。
「でも大失敗ばかりでした」
予定した数量が出荷できない日々が続く。でも、取引先の需要量には応えなければ次はない。収穫作業だけで毎日10時間はかかった。身重の妻に、借金まで背負っているから必死だ。
冬になると、まさかの事態が起きる。つくば市といえば真冬になれば朝晩は氷点下まで冷え込むことは珍しくない。
「本当にお恥ずかしい話、夏に2週間で収穫できるものが、冬に3~4週間かかるとは思いもしかなった」
しかも、むしろ冬は需要量が年間平均の倍になる。そこで、調整弁として導入していたのが「二度狩り」。いったん収穫したベビーリーフの根は畑に残しておき、そこから新芽が生えてくるのを待つ。これを再び収穫し、生産量を間に合わせるわけだ。 苦労話は尽きないが、いずれにせよ、木村はそれらを一つひとつ克服し、ベビーリーフの開拓者としての地位を築いてきた。
では、これから先をどう描いているのかについてたずねると、真っ先に返ってきたのは自身についてだった。それは一農業者に戻ること。

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