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自然災害と農業

[後編]インドネシアのムラピコーヒーから考える


「自然災害が引き金にはなってしまいましたが、元々農家を辞めてしまう原因はあったと気づきました。ちょうどそのころ、『コーヒーはオイルに次ぐ生活必需品』という講演会を聞く機会がありまして、コーヒー栽培を地域で続けていこうと決意しました。個人個人で頑張るのも大切だけど、みんなで力を合わせないとスマトラ島には太刀打ちできないと感じて、商業組合みたいなものを作ろうと考えました。ソーシャルグループではなく、あくまでもビジネスグループにしようと決めたんです」
その言葉どおり、KUB(Kelompok Usaha Bersama、ムラピコーヒービジネス団体)というグループを設立するとともに、 コーヒーの実を生産者から買い取り、乾燥、焙煎、粉末にして販売まで行なっている。07年にインドネシアのINS(Indonesia National Standard)でビジネス賞を獲得し、民間のビジネス組織以外で唯一受賞した。受賞支援としてHACCP取得のアレンジをしてもらい、10年に取得。また、08年には組合となり、ツーリズムにコーヒー販売を合わせようと考えた。ジョグジャカルタ政府がネイチャーツーリズムを推進していたため、地域にあるツーリズムビレッジで、地域の伝統的な文化とコーヒー、乳製品、伝統的なスナックを合わせて外国人観光客(オランダ、アメリカ、日本、韓国)に販売を試み、10年にようやく形になった。しかし、同年10月と11月に無情にもムラピ山の大噴火が起こってしまい、年間約200万人いた観光客は激減した。
「10年の噴火前はムラピ山の18の地域で1200いたコーヒー農家が11年には700に減ってしまったんです。亡くなった人もいますが、若者は町に出て行ってしまった。残ったのは年配の町に行けない人たちだけでした。さらに、コーヒーの木が被害を受けてしまい、新しい苗木を植えても収穫できるようになるまで5年程度かかりますので、農家を辞めてしまった人やコーヒー以外の収益が取れるフルーツに転向する人も多かったです」
二つあったうちの組合の加工場の一つも崩壊してしまった。さらに、この地域は噴火前はアラビカ種が多かったが、アラビカ種は1000m以上の高地で栽培され、被害が大きかった山頂部で栽培されていたこともあり、噴火後には低地で栽培でき、病気に強いロブスタ種がアラビカ種を上回った。ただ、ロブスタ種はインスタントコーヒーに使われるもので、基本的にアラビカ種より価格が安い。ますます農家の経営を圧迫した。コーヒーの木を雨や強い日光から遮るための樹木が必要だが、それもすべて流れてしまった。

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