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別のところを使うというのは、たとえばこういうこと。商品の製造過程で必要な資格を持った工場が地域にないなら、隣の県の工場に行ってそこを貸してくださいと頼む。自分たちの持っていることを徹底し、そのために必要になる補完的な機能は、行政を越えて他者に任せればいいじゃないかという考え方。
ゆくゆくは、地方が大都会と連携したりする関係性の時代になると思う。それを昔から地域開発でやってきた。今までのような徹底的なグローバリズムではないし、徹底的な自分ファーストでもない。連携性、関連性、協調性を持って外部との関係を持ちつつ、自分の地域の伝統文化を守るという進め方。
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これに関しては本連載の最初(2015年11月号)で取り上げた内藤とうがらしを思い出してほしい。内藤とうがらしは東京以外でも加工品がつくられるようになり、それは新宿という大消費地で販売されている。これこそ成田さんがいう「大都会を使い込んじゃおう」という発想だ。
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グローバリズムを否定しているわけじゃないけど、あれは自分の存在をなくしてしまっている。民族とか文化を超えて、平均値を狙っていくのがグローバルで、個性がない。そうじゃなくて、あなたの地域の伝統文化にこだわって、これは他にないんですよっていうものをつくりましょうと言っているんです。
つくることと売ることという機能は大きすぎて、小さな村ではできないから「あなたがこだわるのはこれです」「使うもの、協力してもらうものはこれです」というのを全部選別する。そして関係値の中で、他者からの協力も得てつくればいいんじゃないかっていう発想なの。私は今まで、これをいろんなところで実践してきた。
自分ファーストではない
先人たちの知恵
昔、インドネシアのバリ島の少数民族の治水を勉強しに行った。バリ島の奥の小さな集落に棚田があって、ここの治水がすごい。日本でもよく水をめぐって争いが起きるけれど、ここの集落の人たちはこういうふうに言っているの。「私たちが頼りにしている水を守る神様がいる。でも、一つじゃない。三つなんだよ」
どういうことか。エリアの中に集落が三つある。それぞれの集落の中に水神様がいて、もっと雨をくださいとそれぞれ祈る。そのうちに集落が境界線でもめて、戦争になる。ところが、この人たちは昔から戦争が起きないように工夫している。というのも、一人の人間が三つの神様を信じるわけ。だから、本来争いになるような困ったときにも共有・協調の論理がそこに働いてくるわけ。絶対神にしていない。そういう意味で構造的にはすばらしいの。
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