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人生・農業リセット再出発

世界的シェフ誕生秘話

国際線乗務30年、世界の成功者を観察して二つの共通点があった。貧乏に育つこと。“ありがとう”の反対は“不平不満”ではなく、“当たり前”と思う尊大さ。貧乏は無いものを嘆くことより今あるものに感謝する修養の根幹をなす「足るを知る」が育つ。如何なる職業に就こうが、その道では誰にも負けない第一人者であるか?
主君である織田信長の草履を懐で温めていた秀吉は尻に敷いていたと殿に思われて足蹴にされるが誤解が解けて逆に誉められた。光秀や家康は言った、いくら殿に誉められようが草履持ちは草履持ちだわな! 秀吉は言った、草履持ちで日本一になれば、誰も草履持ちのままにはしておかんぞ!やがて天下を治める太閤殿下になる。
北海道の日本海に面した人口5,000人足らずの漁村がある。町名の増毛(ましげ)は、ハゲ・かつら産業に関係はないが、ボタンエビ漁獲量が日本一、日本最北の造り酒屋も明治時代からある古い町。マシケはアイヌ語でカモメが多い所を意味する。
その漁村で手漕ぎ漁師と農業の夫婦には、男4人、女3人の7人の子供がいた。1954年に生まれた三男の清三(きよみ)少年は、中学を卒業した15歳で札幌の米屋に住み込みで就職し、夜は調理師学校に通う。やがて米店の得意先である札幌グランドホテルにコック見習いを許され、半年後にはホテルの正社員になる。2年後には総料理長の紹介で上京する。

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