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田中には兄と姉がいる。父親からは後継者と目されない立場にいたが、田中が高校2年のときに彼にお鉢が回ってくるような状況になった。農業に取り組めることより地元に戻れる理由が見つかったことが最大のメリットだったが、かといって農業をないがしろにしようとしたのではなく、父親と話し合うなかで将来に向けたステップをきちんと踏み出すことにした。
1回生にして体育会水泳部の
キャプテンに就任、
バスケ大会などイベントを開く
大学進学にあたっては水泳部の監督とも相談し、実家の農業を手伝いながら通学可能な久留米大学を選ぶ。学部は数あるなかから経済学部に決めた。
「経済学部というのは社会的なことをいろいろ勉強できると思ってのことです。それ以外では親父の意向がありましてね……。農業は大学を出てから実地で学べばいいとか、そもそも大学では単位なんか必要がないと言うんです。卒業も求めていないと。4年間、大学に行くことを考えろということなんですけど、つまり単位を取れなくて1回生で4年ダブって退学してもかまわないという考え方です。実際、授業にはあまり顔を出さなかったんですけど、青春を取り戻すために大学には毎日行きましたね(笑)」
大学に通う目的の一つになる水泳は体育会で続けた。だが、入部は勧誘されてのことで、スポーツ推薦でも自発的でもなかった。水泳部自体も弱小で、顧問もおらず、学生の自主的な運営に委ねられていた。田中からしても競技としての水泳は高校までで十分という気持ちだった。
この水泳部では4回生は就職活動に専念するため、3回生の秋で退部する慣例があった。ちょうど田中の1学年上が誰もいなかったことから、彼が1回生の途中でキャプテンを任されることになる。ここからいまにつながる協調性を備えたリーダーシップが形成されていく。
「農村出身ですけど、小さいころには近所にいたお兄ちゃんたちとボール投げだったり、サッカーだったり、水泳以外では柔道やミニバスケ(ットボール)を習って遊んでいました。スポーツはなんでもやりたがるタイプで、競争というよりみんなで戯れることに居心地の良さを覚えていましたね」
小学校の高学年こそガキ大将然として振る舞っていたそうだが、中学や高校では周りを統率するようなことはなかったという。
そんな田中が3回生から指名されたことでキャプテンになった。ここで従来の延長線上にはないイベントを次々と企画し、九州に一大ムーブメントを起こしていく。
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田中圭介 タナカケイスケ
田中農園
1982年、福岡県久留米市生まれ。小学4年から水泳を始め、九州産業大学付属九州高校でインターハイに出場する。久留米大学経済学部を卒業後、就農。全国農業青年クラブ連絡協議会の副会長を務めたほか、2010年に小社が実施した豪州ビクトリア州農業視察にも参加している。
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