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実践講座:したたかな農業を目指す会計学 続・入るを計り出を制す!

人材と雇用の話(1)経営者の報酬の考え方

信玄公に習う人の采配術

久しぶりに歴史ネタで話を始めようと思う。戦国時代の武将、武田信玄公は戦に強かっただけでなく、外交面での駆け引きや治世においても家臣から信頼を集め、後世に渡って高い評価を受けている。信玄公が残した名言のなかで有名なのは、「風林火山」だろう。これは孫子の兵法の受け売りである。このほかにも多くの言葉が残されているが、今回は私が気に入っている3つの名言を紹介しながら、よもやま話を進めていこうと思う。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
どれだけ強固な城を構えても人の心が離れれば国を治めることはできない。情けを持って人に接すれば、城以上に人が国を守ってくれて、仇と思わせるようであれば裏切られ窮地に立たされるという意味だ。
織田信長や徳川家康も恐れた信玄公は、51歳と若くして結核で病没しなければ、天下を取ったであろうとされる名将である。武田の二十四将と騎馬軍団は、戦国時代に最強と称された。信玄公は必ず敵地で戦をしたので、甲府の居城は要害を持つものの城壁や堀のないただの館であった。堅固な城壁や堀を構えることよりも、家臣団と領民の結束こそが最大の守りとなることをよくよく知ったうえでの戦国時代の戦法と理解できる。この戦法に至った理由は、父の信虎を駿府に追放したことで、家督を相続した当初に家臣や領民の団結を得るのに苦労し、人心掌握の大切さを知ったのであろう。この言葉がそうした苦労から生まれたと考えると、より頷ける。
「渋柿は渋柿として使え。接ぎ木をして甘くすることなど小細工である」
信玄公は人を使うことにも長けていたとされる。それがこの「渋柿」の話からもわかる。渋柿の木に労力を注ぎ込んで、甘い柿の枝を接ぎ木して甘い柿の生産にこぎ着けたとて、意味がない。渋柿は渋柿として生産し、干し柿にすればおいしく食せる。人を用いるときも同じことで、小細工を労しても意味がないと言い切っている。

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