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当時の北海道開拓使(後の北海道庁)も殖産興業に力を入れていたので、亜麻工場の設立に取り組むことになった。当初は経験のある大麻から工業化し、これに亜麻を加える計画であった。明治20年(1887)に内地の資本も入れて北海道製麻(株)を設立した。最初の工場は札幌市北6条東1丁目に建設された。早くも明治22年(1889)雁木、23年(1890)琴似に亜麻工場が建設された。官民挙げて取り組む意欲の現れであろう。
北海道庁は亜麻工場の設立後6カ年利益を保証した。また、亜麻の栽培・製繊技術者としてベルギーからコンスタン・オブレヒトなどを招聘した。亜麻の種子を道庁が札幌周辺の農家に配布して亜麻栽培が始まった。亜麻栽培には道庁や工場からいろんな優遇措置があり、栽培面積を増やした。種子に補助金があるとか、夏枯れに反当たり10円の手当てがあるなど、収益性が良かった。当時の作物別反当たり収支計算表を表2に示したが、亜麻は売上高も多く、収益も他の作物に優っている。
農家は亜麻作に興味を示し、栽培技術が未熟であるにもかかわらず作付けする者が多くなった。このため収量・品質に低下を招き問題となったが、こうしたことを契機に工場と契約栽培をするなどの協定が整備され、少しずつ栽培技術が安定する。
(3)価格の推移と生産収支
亜麻栽培は農家にとって有利な作物であるかどうかについては、なかなか結論を得ない。亜麻の繊維は軍需が多いので、事変が起きると需要が多くなり、平和になると激減するなど変動が激しく、決して安定した作物とは言えないからである。
また、行政の優遇措置や、工場からの手当ても協定で定められているといっても、世情の変化で内容が変えられる。
亜麻の生産収支計算例を表3~5に示したが、亜麻栽培にはばらつきが多く、この収益でやっていけるのだろうかと疑問視されるところがある。所得が決して多いわけではない。行政の優遇措置が少なくなり、亜麻工場からの手当てが変動はあってもいろんな手当てがあるのでやっていけたものと思える。
例えば、ある時期には、作付面積当たりで麻製品の現物支給がある。10a当たり麻服地5.5m、麻シャツ地2.7mである。亜麻子実1俵(60kg)当たり麻シャツ地1.8mもある。布地に不足していた時代にはこれは貴重であり、亜麻栽培農家の特典であったと思える。
亜麻茎の納入には、544kg当たり麻服地5.5mとか、亜麻耕作面積10a当たり麻手拭い1本などもあり、他の作物には見られない例である。赤クローバを混播しようとする場合は10a当たり70円の助成とか、バイオリン播種機や鎮圧ローラーにも助成があった。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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