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古くは麦を中心に、コンニャク、葉タバコ、茶を作っていたが、1958年(昭和33年)に利根川に橋が開通し(芽吹大橋)、東京市場とつながり、露地野菜が加わった(それまでは東京市場と分断され販売先がなかった)。60年代後半にはトマト、ハクサイ、レタス、ネギ等が主要品目として定着し、都市近郊型農業としての発展が始まった。89年に畑地の基盤整備が終わり、野菜産地の発展が加速した。
現在、典型的な農家は夏ネギとレタスの輪作である。経営規模は2ha、粗収入2000万円である。
JA岩井の青果物販売額は91億円(2016年)に達するが、ネギ41億円、レタス37億円、両者で86%を占める(リーフ系レタスを含めると93%)。ネギは「茨城県青果物銘柄産地」の指定を受け(1984年)、県内のネギ生産シェア約25%を占める主産地となっている。レタスも91年に銘柄産地指定。
(2) 輸入ネギ危機で強くなる
後発地域でありながら、夏ネギの一大産地になれたのは何故か。夏ネギの“前進栽培”に成功したことが要因だ。5月(端境期)に軟らかい長ネギを供給するのは難しい。ネギは花が咲く(ネギ坊主が出る)と芯が固くなり美味しくなく、5月にはネギ坊主が出るからだ。岩井地区の成功はこの時期に軟らかい長ネギを出せるようになったことだ。
2000年(平成12年)に、ネギ業界は危機に直面した。中国からの輸入ネギ問題だ(わが国貿易史上、初めてセーフガード〔緊急輸入制限措置〕発動の大騒ぎ)。同年5月24日、関東北部はひょう被害が発生し、大凶作になった。通常、不作の年は供給不足で価格が上昇するが、このときは中国からの輸入ネギが増え、価格も下がった。岩井地区も大打撃を受け、輸入ネギ対策に取り組んだ。
新品種の導入が始まった。従来、夏ネギは「長悦」品種を栽培していたが、長悦はネギ坊主が出やすく、また分げつが発生しやすい。そこで、岩井地区は01年からサカタのタネが開発した「春扇(はるおうぎ)」を導入した。「早出し」ができるため、国内の端境期に出荷でき、高単価が見込めた。中国産を使いたくない高級品志向の顧客への販売を狙った。
長悦を超える品質を目指して、農業改良普及所の協力を得て、ネギ坊主を出さない栽培技術を研究し、マルチ(ビニール被覆)栽培にした。マルチを敷き、そして定植、トンネル、ビニール剥がしという結構面倒な労働であるが、岩井はレタスでマルチ栽培をやっていたので、容易にマルチが普及した。その結果、早い時期に、太いネギを出荷できるようになった。これは業務筋からの要望でもあった。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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