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人生・農業リセット再出発

ベートーベン『第九』日本初演秘話

“ならぬことはならぬのです”。松江豊寿陸軍大佐は、戊辰戦争で薩長連合の官軍に敗北した会津藩士の父の義憤を引き継いだ。明治維新で武士から西洋式軍隊に変貌し、1904年にロシア帝国を倒す日本。ドイツ同盟国が、英・仏・露・伊・米・日本の連合国と戦う第一次世界大戦勃発。中国青島をアジア拠点とするドイツを日本は連合国として攻略、77日間で降伏させた。
明治文明開化はドイツ法律や医学を真似ていたが、敵にして戦争せざるを得なかったのは
維新の原動力を提供した大英帝国と同盟を結んでいたからだった。世界一流国と肩を並べるには連合国の一員になる必要があった。4,715人のドイツ兵を大量に捕虜としたが受け入れで大問題になった。国際締結の「ハーグ陸戦条約」は、捕虜は人道的に扱うこと。後進国日本を白人列強国に「文明国である」と認めさせるため、10年前の日露戦争でも世界が驚くほどロシア捕虜を丁重に扱った。4,462人の捕虜は門司港に輸送され、受け入れ態勢が不十分なまま仮設収容所に押し込められた。環境は劣悪で敵兵への憎悪や体罰・制裁もあった。やがて、新しい収容所ができた各地へ移送された。
神戸から淡路島、四国へ渡る玄関口の鳴門。お遍路88カ所巡礼の一番札所である「霊山寺(りょうぜんじ)」。板東俘虜収容所は、その霊場の板東町陸軍演習場に作られた。全国最大規模の5万7,000、所内で流通する紙幣や切手も印刷するなど商工業街区も用意された。所長は陸軍士官学校を経た44歳の松江が就任し、憤死した父を想いながら部下に訓示した。「祖国を離れ孤立無援で降伏した屈辱、祖国愛で勇戦敢闘した勇士、精神と勇気は敵の軍門に下っても損壊されない。彼らの名誉には武士の情けを心掛けよ。捕虜を犯罪者のように扱うことを禁じる!」。人口500人の板東の田舎町に、1,028人のドイツ兵捕虜が住み始めた。

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