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【新・農業経営者ルポ】
年間30万人にまで来園者数を伸ばそうとする天空の下の花の観光農園
- (農)世羅高原農場 代表理事 吉宗誠也
- 第156回 2017年07月07日
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農地の維持管理に植えた
ひまわりが観光農園のきっかけに
山陽新幹線の福山駅で下車し、レンタカーに乗り換えて世羅町を目指した。世羅といってまず思い浮かべるのは県立世羅高校陸上競技部だろう。高校駅伝の全国大会ではアベック優勝の経験も持つ強豪だ。場所としては同校からさらに北へ10kmほどの中山間地に目的地の世羅高原農場(注:法人も観光農園も同一名称のため、前者は「(農)世羅高原農場」とする)があった。出迎えてくれた(農)世羅高原農場の代表理事である吉宗誠也(41)は、若いながらもその職に就いてすでに15年が経っているということだった――。
(農)世羅高原農場の前身となる葉タバコ生産組合の(農)旭鷹(きょくほう)農園は1978年に同町北部の小高い丘の上で発足した。国営事業で造成した団地での栽培はほぼ単作ということもあり、十数年が過ぎたころに連作障害と価格低迷に悩まされる。
吉宗の父・昭彦は隣で養鶏業を営み、生産組合とはまったくかかわりのない立場にいた。そんな彼に相談が寄せられるといきなり代表理事に身を置き、経営の立て直しを図ることになる。葉タバコは縮小し、代わりに切り花を採用した。ところが、標高が高いことから低温で、早出しは難しかった。また、寒冷な冬期は暖房費がかさみ、状況を好転させるまでに至らなかった。
93年のことだった。農地を荒らしてはいけないと一面にひまわりを植栽する。現在、世羅高原農場の外周は樹木で覆われており、内部を確認することができないが、当時は遮るものがなかった。普段は農業用の軽トラックしか通らないような車道に1台、また1台と一般の車が停まり出し、笑顔で観賞するシーンを目にする。花の魅力に気づいた昭彦は、同年に世羅高原農場のシンボルとなる手作りの風車を建て、翌94年にはチューリップとひまわりの観光農園に一気に業態を変更した。
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吉宗誠也 ヨシムネセイヤ
(農)世羅高原農場
代表理事
1976年、広島県世羅町生まれ。2000年、信州大学人文学部卒業後、(農)旭鷹農園(現・(農)世羅高原農場)入社。03年、代表理事就任。(一社)世羅町観光協会副会長。元・山陰・山陽花めぐり街道協議会初代会長。
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