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特集

我らにとっての「土を考える会」

スガノ農機と、同社と活動を共にしてきた全国土を考える会(前田喜芳会長)のこれまでの取り組みは、乾田直播の普及を含めて我が国の水田農業のイノベーションに重要な役割を果たしてきた。これからさらにその役割が大きくなると思う。 しかし、菅野充八前社長を追放し、会社を乗っ取ってしまった。土を考える会はその首謀者としての大森聡氏他の新経営陣が会の理念を正しく承継していないという理由から、同社を土を考える会の幹事と認めないという判断を下した。その上で、同社に対して土を考える会の会費を管理する口座の通帳および印鑑の返還を求めた。しかし、それはいまだに実行されていない。 一方、スガノ農機の株式の51%を所有する菅野充八氏は旭川地方裁判所の承認を受けて6月12日に臨時株主総会を開催し、全役員を解任するとともに、新たに村井信仁氏を代表取締役に選出し、菅野充八氏、菅野鋭三氏を取締役として再任した。 それにもかかわらず、新社長に選任された村井信仁氏は同社に出社できていない。同社の労働組合を牛耳る東京管理職ユニオンに指導された組合員がピケを張り、新社長が出社できないという混乱状態が続いている。 村井新社長の選任は、土を考える会のメンバーの意向を菅野充八氏に申し入れて実現したものである。そして今回の役員人事が、菅野充八氏や創業家の復権を狙ったものではなく、スガノ農機の存続発展に大きな意味を持つ同社及び土を考える会の理念の復権を目指したものである。こうしたスガノ農機の状況に関しては「江刺の稲」の記事を読んでいただきたい。 そこで、今号では土を考える会の精神とは何であり、その成り立ちから会員とスガノ農機との関係性を再確認するために、1996年発行の本誌17号、18号に掲載された北海道土を考える会創立メンバーと当時の若手会員を含む人々で行なわれた「我らにとっての『土を考える会』」というテーマの座談会を再掲載する。 北海道土を考える会の発足の経緯、そこで何が語られ、どのような活動をし、スガノ農機がどのような役割を果たしてきたかをご理解いただければありがたい。そして、読者一般やスガノ農機の経営陣だけでなく、そこで働く社員の皆さんに40年前に発足した北海道土を考える会の理念が、現在という時代にとってどれほど大きな意義を持つかを再確認していただければと思う。これは、同伴者であったスガノ農機と土を考える会のメンバーがまたかつてのような関係性を取り戻すことを願ってこの記事を再掲載するものである。
「北海道土を考える会」(小野寺俊幸会長、事務局=〒071―05・北海道空知郡上富良野町・スガノ農機上富良野営業所内)は、昭和53年6月に、北海道の有力農業経営者27名が「土と経営」について語り合おうという小さな集まりから始まり、今年で創立19年を迎える。
現在の会員は北海道のトップ農家と呼ぶにふさわしい農業経営者と協賛企業(約40社)など830名の組織に成長し、全道・4支部に分かれて活動している。北海道という地域性はあるにせよ農家自身で運営する組織としては最も優れた経営研究団体の一つだといってよい。同会では毎年7月に北海道上富良野町のホワイト農場を中心会場にして講演会と同志交歓会、および協賛農機メーカーの機会展示実演会「北海道農業機械フェアin Kamihfurano」を始め様々な催しを開催している。同展示会は全道だけでなく府県からも北海道ならではの畑作機械を中心とした機械類の実演の見られる展示会として多数の参観者を集めている。
新しい機械情報の収集とともに地域を超えた経営者との出会い、その経営と技術を学び、勇気を確認し合う同志交歓会は夜を徹しての集会になるのもしばしばだ。
ここでは、創立19年目を迎えた同会の創立当時からの会員と現会長の小野寺氏などの北海道経営者たちに「北海道土を考える会」を通して学んだこと、後を引き継ぐ若手メンバーたちへの伝言ということだけでなく、全国の農業経営者たちや農業に関わるすべての関係者に勇気を与える話題であるはずだ。
また、座談会には、同会の顧問的役割を果たしてきた村井信仁氏(北海道農業機械工業会専務理事)に加わっていただき、司会は長く事務局に携わってきた「土の館」館長である穐吉忠彦氏にお願いした。
(平成8年6月6日/札幌市)

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