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特集

我らにとっての「土を考える会」


【農地の名義は自分でも、それは管理責任のある預かり物と思え】

石橋 ところで、勝部さんはこの後も麦を続けるのですか。
勝部 そういうことでもないですよ。ただ私は、農業も社会の一員である。そして農業はそのなかで何をせねばならないかということを考えるべきだと思っている。農業の社会的使命というものがあるのであり、そこが肝心なのだとね。麦作りのことを農業をする僕の使命感ということで考えている。
少し話が飛躍するようだけれども、僕が子供だった戦後すぐの時期には日本の国民の中で餓死者が出るという時代もあったわけだ。その時代は、食糧増産することが国民に喜ばれることであったし、農業者は国民を飢餓から救うという社会や国家に対する使命感を素直に持てた時代だったのだと思う。しかし今は違う。「いくらコストがかかってもいいから餓死者をだしてはいけない」なんていう農業の立場や使命は、マッカーサー元帥がアメリカからメリケン粉を緊急援助で持ち込んで日本を食糧危機から救った時点で終わっていたのだ。しかし、その後でも「増産、増産」の時代がつい最近まで続いていたよね。だとしたら農業って何だ。それは自衛隊と同じで「有事」に備えるということなのではないかと思う。稲、麦、野菜、牛という作物のことではなく、将来にわたっていざとなったら何でもできる「農地を確保し保全する」ということなのではないか。それが現在の農業の使命というべきものではないか。そのためには、優良な農地を大した金もかけないで次世代に確保していくには、とりあえず麦だな、と私は考えるわけさ。
石川 うまくまとめるな(笑)。
勝部 なぜそんなことをいうかというとね、先程、昆社長が農業というものがどういうところに軸を合わせてやっているのかと話されたが、一番弱者なのか、中間なのか、それとも最高レベルに合わせるのかと。僕の場合はそういうことではなくて、今いった使命感を持てる者、それを経済的に果たせる者ということで考えたいわけだ。
私の所は150町の経営です。労働力としては、息子が一人前で彼のカミサンは子供で忙しい。私は口は一人前でも実際には0.7人、女房はもう少し落ちて0.5人。忙しい時期には人も頼んでいるが、その分は請け負いの面積をこなすから相殺して、多く見積もって2.5人の労力で150haをこなしている勘定だ。すると一人当たり60 ha農地を維持管理していることになる。例えばの話ですが、私の属する栗山農協だけを例にとってみると、当該地区の田畑の総面積は6万ha弱です。そして農協の正職員は110名、臨時が15名。合計125名がいるわけだ。それで6万haを割ると、一人当たり48 haです。農協職員だけでです。我々の経営は世間で一般的ではないにしても我が家では一人で60 haを管理しているわけです。しかもその管理水準はこれから5年か10年後にはリタイヤするであろう人々が管理している畑と比べれば、あらゆる面から見て次世代の人々に喜ばれるものだという自信がある。それだけの農地を維持もしているし作ってもきているという自負はある。そして、次が肝心なところだけど、仮に150haの畑が勝部の名前で登記されていたとしても、勝部は農地の「管理人」に過ぎないと考えるべきなのです。だから、管理者としての能力が無ければ所有を放棄せねばならないのは当たり前なのです。それが使命感ではないか。土地というのは、私のものでも、石川さんや石橋さんのものでも無いのさ。未来に向けてはね。地球的規模の、人類の財産なのさ。また、昆さんも農家でないといっても食糧として子供や孫がその農地の世話になるわけだから関係なくはないのさ。だから、多少のコストがかかっても「勘弁してよ」と我々はいってもよいが、ただ、農民や農業関係者が土地を管理しているということをたてにとって無駄使いすれば、「米価や麦価を下げるよ」という話も出てこざるを得なくなる。農地は皆の持ち物だ。だから適切な管理をせねばならない。そんなわけで、自分にとっては、いろんな要素を考えて麦を作るのが農地を管理する手段として一番よいという判断なのだ。だから、将来、麦を作るともいえないし止めるともいえないのです。

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