ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

我らにとっての「土を考える会」


いざ行ってみると、当時は網走の4つの農協の間でさえも壁を打ち破って交流するなんてことはできなかったわけですから、そのことだけでも刺激を受けた。でも、それ以上に配られた参加者名簿をみて驚いた。当時、私は90なんぼの面積だったからまず畑作経営としてはピカ一だろうと思って行ったわけ。ところがそうはいかない。勝部さんが130町ですよ。牧野さんは230町、中島さん150町という。牧野さん、中島さんは草地を含めてだけど、その他の人たちもいずれにしてもゴツイのです。それで聞き直したのです。「本当か?」とね。それでさらに勝部さんに「何を播いてんだ」と聞き返したら、なんと麦だという。そしたら横から牧野さんが、身体はゴツイのに話し方は優しい声で「本当だよ、私は勝部さん所で麦作りを勉強しているのだから間違いないよ」ってね。これだけは忘れられないよ。その上、私らの方では麦の連作はできなかったのですが、勝部さんところでは20何年やっても何ともないよとおっしゃる。それで、皆とあらためて勝部さんの所にお邪魔したのです。実のこと麦一面ですよ。その時に30分早くお訪ねしたら、勝部のお爺ちゃん(徳太郎氏)に「30分早いじゃないか」と怒られましたよ。それも忘れられないのだけど(笑)、実際目で見て、耳で聞いて、その麦があったわけだ。

【開会の挨拶を中断させた石川氏の再開の呼び掛け】

司会 あの時、石川さんが会の発足を提案されましたね。
石川 53年の創立の時、呼びかけた側はそうなることを見越していたのかもしれないけど(笑)、最初はその時限りの集まりの予定だったですよね。でも私にしてみればそれはほっとけなかった。実は、スガノの社長が最後のお礼の挨拶をしかけた時に、ちょっと待ってくれ、網走ではこれだけの話はなかなかしゃべれない。毎年この仲間でやらないか、とチョット漏らしたら「そうだそうだ」という感じでみんなも賛成してくれた。勝部さんなんかがうまくまとめてくれたわけだけど。それで、宮北さんが会長ということで始まった。でもあの時何ですんなり会長が決まったんだっけ。
司会 その日の会合の発起人代表が宮北さんだった。
勝部 たまたま、さっき話した集まりの会長を宮北さんにやってもらっていたから。自分らにしたらその延長のような気がしていたから。
石川 土の会の結成の時に、家に帰るバスの中で、これはぜひともうちの方でも会の支部を作ろうじゃないかと皆で話し合っていた。だから、支部の結成は道東が一番早いはずですよ。第2回目の時だから、その承認をしていただいたのは。地元に帰って皆に話したら2回目には10何人がきたのですね。勝部のお爺ちゃんの講演を聞いたのは2回目の時だったか。それを聞いた地元の者たちが感心しちゃったわけだ。それを皆にふれてまわってドッと支部の会員が集まったと思う。

関連記事

powered by weblio