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特集

我らにとっての「土を考える会」


【出会いに触発されて始めた仕事を受け継いだ私の後継者たちのこと】

駒谷 僕も、土の会に参加させていただけなければおそらくあんな牧場なんてやらなかったと思うのですよ。水田では100町くらい作ってみたいと思っていたのだけど、転作転作で土地を持っていても作らせてもらえなかったから、限界を感じてたんですよ。法律的に50町以上作っちゃいけないなんていうことはないが、もう遠慮せよって感じで50町以上は買えなかった。そんな事情で畑や水田では近くで手に入れられない。しかも米では豊作だと翌年は減反。農業者にとってはたくさん獲れることが喜べないという辛い時代になっていた。それで肉牛に入った。
子供たちのことですが、あの当時から後継者問題がよく語られていましたが、僕は子供たちに、息子だからといって後は継がさないと常に言っていたのです。農業が好きな本当にやりたいと思う者にやらせるべきなんだって。子供が継いでくれたらいいなという思いはありましたけどね。そしたら娘が農業やるって言い出しちゃった(笑)。
あの子は三女なんですが、小学校の4年生の冬に、牧場に連れて行って子牛の治療を手伝わせた。注射打たせたりして。だけど子牛は死んじゃった。子供はかわいそうだといっていつまでも子牛を撫でている。僕は記憶が無いのだけど、その時に「お父さんに獣医の資格でもあれば助けられたのかもしれんのにな」と僕がいったというんですよ。その時に獣医になって、牧場やろうと決めたというんですよ。3月に大学の先輩と一緒になって牧場を継ぎますけど。
設立の翌年から試験場の先生として指導的な立場で見てこられた、この会の顧問役である村井先生どうですか。

【篤農家の話は篤農家が聞くから分かるし、響き合う感動がある】

村井信仁 今お話を伺っていると、この会には地域の壁を越えて仲間を作り、勉強ができる魅力がある。また、農家同士だけでなく、農家とメーカーとの壁を越え、そのつながりを強化する役割も果たした。
私1回目は参加していないのですが、それ以前に菅野祥孝さん(スガノ農機(株)社長)が、十勝農試の私の所に見えて、北海道の土を徹底的に知る方法はないだろうかと相談を受けたことがあった。当時の北海道のメーカーは、春農機と夏農機と秋農機を持つというのが一つのパターンだった。それで工場をうまく回していた。反対にスガノさんは最初にカルチベータをやめて、それから当時としては良い機械だったビートハーベスタもやめてプラウ1本にしたいというのです。その頃になると、小麦が入ってきて夏起こしをやるようになっていたし、機械化体系が整ってきて農家にも労力の余裕が出てきたので秋起こしもできるようになってきた。そんなんでプラウだけで工場を稼働させるという条件が揃ってきた。しかし、プラウというのはその地域の土を知っているメーカーでないとできない。それで菅野さんとしては土を徹底的に知る方法はないかと考えられたのだろう。それなら、篤農家に聞いたらよいといった。篤農家は土を大事にするから生産性が高く、だから篤農家なんだ。各営業所にお触れを出して篤農家を出して話を聞いてみればよいではないかといったのです。そんな話がありました。それが直接的なきっかけになったかどうか分かりませんが、先程の勝部さんのお話にあった農家の集まりがあり、菅野さんにしても篤農家と話す機会を持ちたいという思いが一つの形にリンクしての27人の会合になったのではないかと思うのです。それが意外なところに発展していくのですね。

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