ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

我らにとっての「土を考える会」


篤農家の話は篤農家が聞いて一番面白いのです。同じ苦労している篤農家でないと分からないわけです。その人たちは、ちょっとしたヒントにバーンと反応する。だから、理解もできるし刺激にもなる。そうすると、さっき石川さんがいわれたように、1回だけの話じゃ駄目だ、来年もやるべということになったのだと思う。勝部の爺ちゃんを訪ねるとお前は小麦と話ができるか、できない奴は帰れ帰れという。小麦と話ができる奴に俺の話は通じるのだという思いがあるようにね。篤農家同士の共感のようなものがあったのだろう。一流の人たちが集まったから、かなりハイレベルの話がなされたのだと思いますよ。技術的な啓蒙であれば一年ですむわけがない。
53年、54年と続けて、参加者からスガノの製品に対していろんな文句を付けたけど、スガノは本当にそんなプラウが作れるのか、それじゃ実際に作ってやってみようというような話になった。スガノさんだけじゃしょうがないから、会の趣旨に協賛できるメーカーにも集まってもらい展示会も始まる。研修会をやる。そうすると上質の新しい情報が幅広く入ってくるようになって、土を考える会というものが固定していったのだと思います。まあ、展示会と研修会を軸にしたこの会は、できるべくしてできたといってもよいが、進めてきた人たちからすると意外な発展をみたというのも、本音ではないでしょうか。

【悲壮な覚悟の親父の世代、家族で楽しむ息子の世代】

司会 取り上げるべきテーマについて、先生にも相談にのっていただきました。また、外から見た会の変遷を少し。
村井 テーマとしては、最初はとにかく麦がすべてだという感じだった。昭和47年位から小麦の作付けが奨励されて、53年当時が一番小麦が増えてきた時代だったから当然だったのでしょう。
53年の最初のテーマが「土を考えよう」で、次が「麦」「麦と草と土」そして「土と機械」という風にだんだん幅を広げていった。そして、第5回くらいまでが土を考える会のいわば創生期だったのです。その時代は、まさに同志交歓会であり、篤農家が自分の得意分野を話しあって自分の技術を披露し、それを学び合うといった感じでした。その頃、勝部さんがよく研究会の司会をされてましたよね。
その次の5年くらいで発展期に入っていくのだと思うのですね。「土と機械と英知」「ニューマシーン'83」「気象と機械」「土づくり'85」とテーマも少 し変わっていく。各界の先生の講演を聞く。同志交歓会は相変わらず、と。

関連記事

powered by weblio