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特集

我らにとっての「土を考える会」


社長が伊藤さんにお礼いってもらおうとして声をかけたら、即座に「あれはだめだ。どっちみち僕がやり直すから気にしないでいいよ」といわれたそうですよ。社長にしたらショックでね。あの農業談議が大好きで土づくりを語る社長が、農家なら誰でも知っていることを知らなかった。「社長の私がこんなに農業知らないで、ならば社員はどうなんだ。うちの会社は経営を間違う」って思ったそうです。社員にそのことを知らしめなきゃならん。そのために農家の皆さんに集まって話し合ってもらい、その周りで社員も話を聞かせてもらおう。そして農業を学ぼう。というのが社長が初めて呼び掛けた時の会社や社員にとってのテーマだったように思います。
会社に対しても、社員が一度も考えなかった技術的な事も随分苦言を言って下さり、いろいろ教えていただいた。こんなことは初めてでした。まあ、事務局あるいはスガノの社員としての気持ちとはそんなものでしたね。
石川 だから何度こきつかわれても大丈夫だと(笑)。

土地の名義は自分のものでも、
それは預かり物だと思え!

本誌 先程食事をしているときに石川さんが、第1回目の会合で勝部農場の面積やその売上を聞いて自分の頭をハタかれるような気がしたと話されていました。人は誰でも社会の中での自分の位置を気にして生きている。しかし、大多数の人々が比較対象にしているのは「平均」と自分との偏差だと思います。自分が平均的地位にいることに安心し、自分より下に誰かがいることで己れの自尊心を保っているようなところがあります。
しかし、土を考える会の仲間というのは、常に「最高」を見ようとした。「平均」ではなく「最高」と自分を比べてどれだけ自分が劣っているかを謙虚に見つめ確認しながら、上にそして未来に向かって歩もうとされる。より優れた人がなしえたことにチャレンジする精神。そして、その仲間同士が驚くほどオープンに教え合い学び合う。自立した個性ある者たちが競争の中でこその協同性を持ち続けている。こういう人のつながりというのは農村社会の中では極めて稀なことですが、それがなぜできたのか。
また、後継者たちに向けての話題ですが、かつて開拓地に入植した先人たちは今では想像もつかないような苦労の中で開拓を進めてきたわけですが、彼らには夢があった。夢を見る勇気があったのではないかと思います。ここにお集まりの土を考える会のOBメンバーともいえる積年会の方々もすでに入植から二世代や三世代を経ていながらも、そんな未来ヘチャレンジする勇気をお持ちであったと感じます。そういう時代だったのかもしれません。だとしたら現代の若い後継者たちは、開拓者たちの、そしてここにお集まりの会の創立メンバーからその精神をどう受け継ぐべきなのでしょうか。人間というものは喰えるようになると安心してしまい、危機感を失ってしまう。いつか活力のない状態に陥ってしまうものです。今農業が「厳しい」なんていう人たちがいるわけですが、開拓当初のことを考えてみたら天国のような話ではないのか。先代がりっぱな仕事をしていても喰えるようになった今、後継者がその財産を食い潰してしまうということもありはしないか。後継者は自らが先代とは異なる創業者だからこそ後継者たりえるのだともいえます。そうでなければ、後継者とは単なるゴクツブシかよくいって資産管理人であるにすぎなくなってしまうのではないでしょうか。その辺を皆様どんな風にお考えでしょうか。

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