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いまは田舎でも竹は買ってくる時代だが、稲葉集落の人たちは「竹はあるやろ。山から切ってきたら」という。身近なところから材料を手に入れるという感覚は、私の子供たちにとっても当たり前のことになっていった。
男の子たちは裏山から竹を切ってきてはチャンバラ用の刀をつくったり、弓矢をつくった。インターネットなどで調べ、火を起こしてバウムクーヘンをつくったり、蕎麦打ちをしたり、魚をさばいて寿司もつくったりしている。集落のおじいちゃんやおばあちゃんには昔のやり方を教わっている。おばあちゃんにはそら豆は皮ごと焼くと美味しいと教わった。長男は、昔の茶畑で摘んだ茶葉で抹茶アイスクリームをつくろうと、
乾燥させた葉をどうやって挽くのかとおじいちゃんを訪ね、石臼で挽く方法を教わった。経験を重ねるうちに、遊びのレベルを超える質のおもちゃや食べものになっていった。
現代の田舎には、ものはなくても情報はある。世界中の新鮮な情報はインターネットで集められる。また昔のことはおじいちゃんやおばあちゃんから聞くことができる。
私の子育ての方針には、もうひとつ、子供たちが何かを楽しそうにしていたら放っておくというのがある。夢中になっているときは、子供の集中力が養われ、想像力が活発に働いているときだからだ。大人の興味で話しかけ、子供の精神活動を途切れさせてはいけない。子供にとっては遊びも仕事も同じだ。家の裏の土手はよく崩れるので、片付けの手伝いをさせるのだが、そのとき子供たちは物語をつくり、登場人物になったつもりで楽しそうに作業する。仕事は辛いもの、我慢してやるものではなく、楽しんでやったほうが効率もよい。
夢中になったり楽しんでやったりしたほうがよいのは、大人にも言えると思う。仕事ができる人は夢中になる度合いが違う。農業の世界でも、なぜそこまでやるのだろうというような人が成功している。子供が真剣にやっていることが遊びであり、成長したときそれが仕事と呼ぶものになるのだろう。
現代は、田舎でも都会と同じようにテレビやゲームで遊ぶ子供たちが多い。稲葉集落のある三和町の子供たちも同じだった。私は地域の子供たちに、もっと外で遊んでほしいと思っていた。移住してから2、3年経つと、外で遊ぶ私の子供たちが、地域の子供たちの遊び方のお手本になっていった。
山本一家が引き出した
村の活気
祭や定期的な寄り合い、道路の泥掃除などの共同作業は、月1回のペースである。それらにはすべて参加し、集落の人々の話を「聞く」ことを通して村の一員になっていった。子供たちにも親が話を聞いている姿を見せるようにした。
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