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【亜麻物語】
亜麻復活の新たな動き
- 農学博士 村井信仁
- 第8回 2017年09月01日
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残念ながら亜麻工場は昭和43年(1968)で消滅してしまった。しかし、亜麻や大麻の復活を望む人たちは多い。それは化学に対する反発であり郷愁であると思える。化学合成物質にはその便宜性を享受できるとしても、ときに裏切られることが多く、失望する。
亜麻を復活したいとする会議に出席したことがある。その会社は建築資材を製造している。アレルギー症の人たちから新築家屋に住めないと苦情が出る。年ごとにそれが多くなってきているので何とかそれに対応したい。化学合成物質に頼らないで、ボードを製作するとすれば、亜麻が最適だというのである。あまりにも化学合成物質に頼りすぎた弊害であるのかもしれない。
それにしても昔の人たちには花粉症などは、まったく無縁であった。それが時期になると、警戒警報が発令されるのはどういうことなのであろう。現代の人間がひ弱になってしまったのは、化学合成物質にどっぷり浸るうちに、自然との接触も少なくなり、双方に抵抗力を失ってしまったということであろうか。過ぎたるは及ばざるがごとしなのかもしれない。
それはともかくとして亜麻に需要があるとすれば、それに応えなければならないであろう。各地に亜麻や大麻の研究会が結成されて、種々実用化が検討されている。
しかし、残念ながら企業化の気配はない。それはなぜかを考えると、ほどほどに生活できる時代にあっては、あえてリスクを覚悟して新しい事業に挑戦するなどはありえないようである。
明治維新は大政奉還で一つの革命を成功させた。長い間の鎖国から抜け出し開国となれば、列強諸国に対抗するためには何を為すべきか、あまりにも工業技術面に遅れていることを実感すれば、あえてリスクに挑戦し、列強に互そうとする。飢えているときには人間は勉強して、あえて難しさに挑戦するものである。北海道に亜麻産業が成立したのは、そうした人たちによるところが大きいと言ってよい。
それにしても昔の人たちには花粉症などは、まったく無縁であった。それが時期になると、警戒警報が発令されるのはどういうことなのであろう。現代の人間がひ弱になってしまったのは、化学合成物質にどっぷり浸るうちに、自然との接触も少なくなり、双方に抵抗力を失ってしまったということであろうか。過ぎたるは及ばざるがごとしなのかもしれない。
それはともかくとして亜麻に需要があるとすれば、それに応えなければならないであろう。各地に亜麻や大麻の研究会が結成されて、種々実用化が検討されている。
しかし、残念ながら企業化の気配はない。それはなぜかを考えると、ほどほどに生活できる時代にあっては、あえてリスクを覚悟して新しい事業に挑戦するなどはありえないようである。
(2)亜麻栽培再開の可能性
明治維新は大政奉還で一つの革命を成功させた。長い間の鎖国から抜け出し開国となれば、列強諸国に対抗するためには何を為すべきか、あまりにも工業技術面に遅れていることを実感すれば、あえてリスクに挑戦し、列強に互そうとする。飢えているときには人間は勉強して、あえて難しさに挑戦するものである。北海道に亜麻産業が成立したのは、そうした人たちによるところが大きいと言ってよい。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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