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第二次大戦後も同じようなものである。戦争が終わって世界からいろんな情報が入ってくると、世界にあまりにも遅れていることを実咸すれば、何を為すべきか、経済界では、資源に乏しい国であれば、技術に生きるしかないとして自動車や電気製品の生産にあえて取り組んだ。日本人らしい技術を加えて日本を経済大国に押し上げた。
農業とて同じである。どの作物もヨーロッパの収量の2分の1であることを知れば、それに追い付こうとする。トラクタが必要であれば、家1軒新築できるほどの高価なトラクタもあえて導入し、今や収量・品質については世界レベルの水準を誇っている。
ここで亜麻や大麻を復活させようとする気持ちはよく理解するとしても、真面目な仲良しクラブであって事業として成就させようとする気迫に乏しいように感じられる。もっとも、企業にその意識が乏しいからと責任を押し付けてはならない。企業が頭を下げて頼みに来るシステム作りが先であると思える。
北海道に亜麻産業が成立したのはどうしてかを整理してみると、志士と言うべきか、侍が北海道にやってきて頑張ったからと言えないことはない。北海道はいわゆるハングリーであったのである。
我慢していれば、ますます貧乏になり、発展などありえないと感じればそれぞれが頑張り、新しい世界を作り上げようとする。その意欲が成功を導いている。亜麻・大麻の復活にそうした猛者の出現を願ってやまない。
海外国際協力事業団(JICA)の仕事で、何回か中国の黒竜江省に赴いた。仕事を終えて任地周辺の農業事情を視察していると、海倫県で亜麻の茎を馬車に満載して運んでいるのを見掛けた。聞いてみると、この界隈は戦争中から亜麻を栽培しており、現在も亜麻工場が操業しているとのことであった。
日本の亜麻産業は樺太や満州(現東北3省)、朝鮮(現韓国・北朝鮮)、台湾にも進出していたので、中国ではそれが残っていたのである。中国は化学合成繊維産業が遅れており、ハウスのビニールフィルムやマルチフィルムなども高価であり、貴重品扱いであった。そんな環境では、亜麻は貴重な繊維なのである。
我が国では、亜麻や大麻を復活させようとして関係者がいろんな努力をしているが、黒竜江では依然として企業化されており、羨ましいと感じられた。
日本で亜麻を材料にして建築ボードを作ろうとしているが、日本に輸出できるならば、中国でボードを作るのではないか、それと競争できるかなど考えてしまう。現に亜麻を栽培している素地があること、人件費はなお安いことなど考慮すると、我が国で現在亜麻栽培が成立するかどうかを考えると複雑な境地に陥ってしまう。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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