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特集

産業用ヘンプの世界の最新動向


品種改良を後押ししたのは、欧米ではヒッピーカルチャーなどの反近代化思想と相性の良かったマリファナの普及である。なかには病気の治癒を目的にマリファナを使った人々もいて、痛み止め、ガン治療の嘔吐抑制、緑内障、神経性難病などのさまざまな疾患に対して治療効果が認識されていった。こうした経験は、嗜好品としてだけでなく、医療目的での個人使用や臨床研究を合法化すべきだという社会運動につながった。その結果、米国のカリフォルニア州が96年に住民投票で過半数の賛成を得て、医療用大麻を世界に先駆けて合法化したことは、薬用型の麻の位置づけを大きく変えたといえるだろう。

【麻はなぜ不遇な作物になってしまったのか?】

麻の世界史をたどると、麻が農作物として産業革命の波に乗れず、嗜好品としても、医薬品としてもメジャーになれなかった背景が見えてくる。14~16世紀の大航海時代には、帆船の帆布や縄、記録紙、ランプオイル等で繊維型の麻は幅広く使われていた。ところが、蒸気機関が発明されると、帆船は徐々に廃れ、需要が激減してしまう。さらに1800年代の産業革命では繊維原料は綿花が中心になり、国際貿易品で安いジュート麻やマニラ麻が流通し、相対的に麻の繊維作物としての地位が低下したのである。
また、薬用型の麻を使った医薬品は1900年代の前半に、300種類ほど商品化されていた。しかし、「効果が安定しない」「水に溶けない油溶性であった」「ほかの強力な医薬品が開発された」といった理由も相まって、41年に米国薬局方から除外され、その後の国際的な規制により一気に影を潜めることとなる。ケシ植物由来のモルヒネ(いわゆる麻薬)が痛み止めとして世界の医療現場で使われているのとは対照的に、麻は医療用に使われなくなってしまったのだ。
さらに嗜好品としても、アルコール、タバコ、コーヒー(カフェイン飲料)の「ビッグ・スリー」と比べると、世界的な多国籍企業に恵まれなかったという歴史がある。アルコールではビールで有名な1876年創業のバドワイザー、タバコでは1901年創業のインぺリアル・ブランズや1900年創業のフィリップ・モリス、コーヒーなら、1886年創業のネスレなどがすぐに思い浮かぶだろう。依存性物質の社会史を明らかにした『ドラッグはいかに世界を変えたか』(デイヴィッド・T・コートライト著・春秋社)によると、ビッグ・スリーは、生産、流通、消費の規模と世界各地の文化に取り込まれた深さのおかげで禁止されなかったという。一方で、コカ、アヘン(ケシ)、大麻は「リトル・スリー」と呼ばれ、消費量が少なく地域も限定的だったため、禁止物質にしやすかったと述べている。

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