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新・農業経営者ルポ

大潟村に入植できなかった悔しさをバネに

大潟村といえば、国の全国公募による入植事業として初の地域だったことで知られる。資料によると、2463人の若者がその狭き門に挑み、1883人が弾き返された。年齢制限の下限だった秋田県南部出身の一人の青年も落とされた口だが、入植に懸けた熱い思いは絶やさず、後に事業を興し、果ては民間育種米のF1品種で1t取りを視野に入れるなど大きく羽ばたいていった。入植事業で求めた「農業生産性と所得水準が高い農業経営ができる人」は、県内南部で確固たる地位を築いている。 文・写真/永井佳史
坊主頭に口ひげを生やし、黒いTシャツを身にまとった60代と思しきその男は一見するといかついが、目や秋田弁なまりの口調は優しさにあふれていた。事務所に通され、まず眼中に飛び込んだのは整然と立てかけられたたくさんの釣り竿だった。
「あした(8月25日)から道東のオホーツク海に行ってサケを釣るんだ。コメはだいたいもう勝負が着いたから、稲刈りまで1カ月くらい留守にする」
秋田県南部の羽後町でコメを中心に変形田では枝豆を生産する武内才一(66)は趣味が釣りだ。6月中旬から盆までの2カ月間は北海道の屈斜路湖に出かける。つまり、1年の4分の1は釣りに明け暮れていることになる。しっかり小遣い稼ぎもしており、釣った魚は市場に出荷している。
不在時は従業員の娘夫婦と農家出身の男性社員の3人に計画を伝え、時折天候の経過を確認しては必要に応じて指示を出す。いまでこそこうして趣味に興じられる時間が持てるようになったが、還暦を迎えるまでは何社も束ねる経営者としてあくせく走り回っていたのだった。

農協退職と同時に稲作農家になり、
畜産4部門も一挙に立ち上げる

高校卒業後の20歳になるかならないかのころ、武内は県内の八郎潟中央干拓地(大潟村)への入植を目指していた。募集は5回に分けて行なわれたが、その最後となる第5次に応募したため、文字どおり、ラストチャンスだった。そこには8項目にわたる条件があり、その一つに「入植するときに、営農する労働力として1.8人以上を有していること。」というものがあった。両親は健在だったが、年齢の関係で2人を足しても0.8人以上にはならない。困った武内は現夫人と入籍し、同居しているような恰好で書類を作成した。しかし、最終的に合格とはならなかった。

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