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新・農業経営者ルポ

大潟村に入植できなかった悔しさをバネに


「書類審査と筆記試験は通って、面接試験で弾かれちゃったんだよね。総合評価ってことだけど、俺のなかでは資金力が問題だったんだろうと思っている。だから、大潟村の人たちに負けないような百姓になってやるんだというのがモチベーションになったかな」
家業の稲作には両親の手伝い程度から後に主体的にかかわるも、本業は農協職員だった。転機は1994年、父の死とともに動き出す。バブル経済の崩壊を受け、ひそかに独立する機会をうかがっていた。それは、農業にとどまらず、複数の事業を同時に興すという壮大なものだった。
「農協では米穀畜産課長で辞めたんだよね。コメは自分も作っていたし、仕事で売買のことも学んだので知識はそこそこある。その前は養豚がメインで指導員をやっていた。そんな流れで稲作農家に加え、養豚場、屠畜場、食肉加工、産廃施設を手がけることにしたんだ」
事業は順調に進む。稲作を除くものは一まとめにして会社を設立したが、節税対策で一定の課税売上高に達しそうになったら部門を切り離し、有限会社を立ち上げる方法で資産を蓄えていった。
これら4部門はすべて秋田市にあった。農場がある羽後町とは車で1時間強の距離が離れている。往復しようとすれば3時間は要するが、武内にとってそれはさほど苦ではなかった。金銭面も問題はない。ただ、人材の確保には頭を悩ませた。
「全体で正社員80人、パート200人くらいを雇ったのが最高なんだけど、人の出入りが激しいのでその組み立てに本当に苦労したよ。豚には休みもないしね。後進が育ってきたところで出資金を出してあげて新しい会社を作らせて、完全に離れた立場になったのがいまだね。おかげで釣りにも行けるようになったよ(笑)」
一方、新たに始めた事業もある。すでに十数年が経った除雪は経営の柱に成長した。
「除雪車は10台持っているけど、1台1500万円で1シーズンに300万~500万円は稼げる。町内の選果場の駐車場を受注してから口コミでどんどん広がって、大きいスーパーも押さえたりしているので、もう営業はしていないよ。この地域では雪に抗うんじゃなくて戦っているほうがカネになるし、ウチはコメと除雪とでなんとかかんとかなっているよ」
それ以外の事業には、近隣6戸と運営する農作業受託会社と青果物の選果業務とがある。

乾田直播に臨戦態勢も
諸条件で10年に3回しかできず

現在、水田は約15 haの自作地のほか、借地として約14 haを引き受けている。地域平均の1.5haからすると大規模なほうだが、所有する機械や施設からして可能なレベルの50 haには開きがある。

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