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新・農業経営者ルポ

大潟村に入植できなかった悔しさをバネに



釣りも農業も生産性を
上げるために努力するかどうか

武内は、百姓であることを心から楽しんでいた。もやがかかっているうちに圃場を一回りし、日中は市街地に出向いたりしてぶらぶらしている生活が幸せだと感じるという。それは年齢的なこともあるかもしれない。だが、ここまで歩んできた道のりを思えば、時に張り詰めた緊張感のなか、常に考えて行動してきたと推測できる。釣りにまつわるこんな話が印象的だった。
「釣りをしていて、なかなか釣れなかったらどうするのかという問題がある。釣れるまで待つ人が7割で、『なんかあの人、釣れるよな』という人が3割いる。釣る人っていうのは同じ場所にとどまっていてもえさや仕掛けを変えたり、アクションを変えてみたりといろんなことをやっている。
それからよくあるのがね、何百人もの釣り人が並んでいるんだけど、また3割の人だけが釣れる。なんでだと思う? それはそこに何かがあるからよ(笑)。秋田の県魚にハタハタってのがあるんだけど、シーズンは12月の初めごろから1カ月なんだ。産卵のために漁場に来るんだけど、釣れるポイントの下には岩礁があって藻が生えていたりする。そこにはえさになるプランクトンや小魚が多いわけだ。そういう条件を把握している人が釣れるのよ。
やっぱり生産性を上げるための努力とか、経験を積んでいる人のほうが絶対強いのよ。釣れなくても苦労して考えるくせをつければ成果は上がる。俺のレベルは真ん中くらいだけどね」
釣りは趣味であり、真ん中というのは謙遜と受け止めると、“本業の”農業ではそれこそ努力してきたのだろう。
もう一つ、武内がなすべきは後継者の育成だと思うが、その件は楽観的に捉えていた。
「農業をやっていて、楽しいって感じるようになったら、カネは自然と残ってくるんだよね。やっぱり使われて嫌々やっているうちは本人も伸びないし、生産性も上がってこない。だから、俺はのんびりやっているよ。ははは(笑)」
武内は、生前の父親に農家を継ぐとは言い出せなかった。元気だった父親に遠慮した節はある。とはいえ、過去を振り返れば成人するばかりのころに大潟村への入植を志したほど人物だ。彼らに負けまいとする情熱はその後も消えることはなかった。誰に命令されたわけでもない。結局は本人次第ということになる。親の背中を見て育つという言葉があるが、武内の背中は鏡のような存在であることは確かだろう。
(文中敬称略)

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