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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

ヤラレたら、ヤリ返す!

10年目に突入した恒例の冬季筋トレは豪華絢爛な町営の施設を利用する。まずランニングマシンで軽く体全体を慣らし、その後、メジャーリーグ養成ギブスのようなマシンで腰をグイグイ、足をピクピク、両手両腕は軽やかに前に後ろにピストン運動させる。そんな自分に鞭打ち、仕上がっていく肉体美にほれ込んでしまうことがイヤらしく感じるこの季節が大好きだ。

日付重視の
恨みつらみ行動

年末に近づくといつも思い出すことがある。12月23日はクリスマス・イブ・イブであることは、実生活と宗教に関連性をあまり持たない日本人にも大切な日である。この日はシンガーソングライターの山崎まさよし、女優の矢田亜希子、歌手の庄野真代の誕生日であるとともに、国民が祝うべき第125代である今上明仁天皇の誕生日でもある。その天皇が激務のため生前退位を決め、政府もそのご意向に沿う方向性だ。
次の天皇は現皇太子になることは、それはそれで喜ばしく粛々と行事は進むのだろう。ではアメリカとの関係はどうなるのか? 以前も書いたが通称、東京裁判で死刑判決を受けた7名の男たちは、現在のプリンス・ホテルとなった巣鴨プリズンにて、12月23日0時1分30秒に処刑が始まった、と記録にある。アメリカの明らかなメッセージを感じる。“昭和天皇は生かしておくが、息子(現天皇)が天皇をやっている間は、日本はアメリカの影響下だ、本当にお祝いできるかよく考えろ”ということなのだろう。
ウィキペディアによると終戦の年に占領軍GHQは、プロパガンダ作戦を開始した。よりによって開戦日12月8日を選んで10回シリーズで“太平洋戦争史”なるものを全国の新聞紙上に載せ、“日本は悪い国だ”と日教組が喜ぶ戦後教育を始めた。さらにさかのぼればマレー半島、シンガポール、フィリピンで活躍し、マレーの虎の名を知らしめた陸軍大将の山下奉文も戦後は戦犯として裁かれることになった。死刑判決はアメリカの開戦日と同じ12月7日だった。まだある。5月3日は憲法記念日であり、1946年のその日に東京裁判が開廷していた。
日本も負けてはいなかった。マッカーサーは帰国後、アメリカ国民からヤンヤの大喝采を浴びることになったが、この世の習わしに従い時が経つと、その人気は凋落の一途をたどった。その時に戦艦ミズーリで降伏文書にサインした9月2日と同じ日に、意気消沈のマッカーサーを、時の外務大臣が慰めにアメリカに行ったとされる。

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