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こんな子供たちの会話を
聞いていると
自分たち大人が持っている価値観が
本当に正しいのかどうかわからなくなってきます。
今はネット等で
いろいろな情報が簡単に手に入り
物の価値を判断する際とても便利なように思えますが
キャッチコピーや値段、ブランド名などがポンポン飛び込んで来るので
自分でじっくり考える前に
適当に答えを出してしまい後悔するということもしばしばです。
スマートフォンの普及で情報の検索がさらに簡単になり
現場を観察しながら自分なりに考えるということをする前に
とりあえずネットで検索という方法が当たり前になりつつあります。
これをクイズやテストに置き換えて考えてみると
問題を読んで自分で考える前に解答のページを見てしまうようなものでしょう。
考えなくても即座に答えが出るというのは素晴らしすぎて
自分が天才にでもなったような錯覚すら覚えますが、果たしてこれでいいのでしょうか?
限界集落には
80代になった今でも元気に畑で野菜を作っているおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいいますが
それがどうしてなのか
ちょっと考えてみましょう。
答えは簡単、若い時に今の何十倍も体を使ったからです。
情報も今よりずっと少なかったので頭もたくさん使ったことでしょう。
頭も体も基礎体力があるわけです。
さて
そのことを念頭に置いて
またちょっと想像してみましょう。
機械ができて体を使わなくても良くなった。
コンピューターができて頭を使わなくても良くなった。
数十年後の人間は一体どうなっているでしょうか?
機械、コンピューターの良い部分も沢山ありますので
それらを全て否定するわけではありませんが
物事にはやはり副作用や一長一短ということがありますので
便利になりすぎるということに対してはそれなりに注意が必要だと思うのです。
最近、集落の足の悪いおばあちゃんの足がさらに悪くなり
街へ出て子たちと暮らすか
膝の手術をして引き続き一人で暮らすかという選択を迫られましたが
おばあちゃんは自分の足で歩き
この集落で暮らすということを
自ら選択をされ1カ月の入院を経て限界集落へ帰ってこられました。
年齢的にも手術は体にとって大きな負担になるというのに
それをしてまでわざわざ不便な田舎へ舞い戻って暮らすというのは
今の価値観からするとずれているかもしれませんが
おばあちゃんにはおばあちゃんなりのしっかりした価値観があるのでしょう。
今後AIなどの普及でさらに急速に便利な世の中になっていくのは確実ですが
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山本晋也 ヤマモトシンヤ
副村長
みわダッシュ村
1968年、京都生まれ。美術大学を卒業して渡米後、京都で現代美術作家として活動。そのかたわらオーガニックレストランを経営するも食材を種から作ってみたくなり、京都市内で畑を始める。結婚して3人の子供を授かったころ、農業生産法人みわ・ダッシュ村の清水三雄と出会い、福知山市の限界集落に移住。廃屋を修繕しながら家族で自給自足を目指す。土と向き合ううち田畑と山や川、個人とコミュニティーの関係やその重要性に気がつき、田舎も都会もすべて含めた「大きな意味での自給」を強く意識するようになる。この考え方は、美術家時代にドイツの現代美術家ヨゼフボイスのすべての人が参加して創り上げる社会彫刻という概念に影響を受けた。現在みわ・ダッシュ村副村長。
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