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今月の数字

35.5%(国税に占める酒造税額の割合、明治32年)


もう一つは、従来認められてきた自家醸造を明治32年に禁止したことだ。明治中期から日清戦争後の軍備拡張と官営企業への財政による支出増大をまかなうため、酒税は明治29~34年の5年間で3回増税が行なわれた。この間、明治28年、33年、38年の酒造税額は17,749千円、50,294千円、80,473千円と激増し、明治32年には国税に占める割合が35.5%と国税の税収第1位となった。重い酒税を課された事業者からの要望もあり、自家醸造は厳しい取り締まりを受けることになる。芋焼酎の盛んな鹿児島県でも自家醸造が禁止される前は味噌と同じように各家庭で焼酎を作り、「あの奥さんの作る焼酎はうまい」など、それぞれの家の味があったという。自家醸造が禁止されると集落ごとの共同製造が推奨され、免許製造は一時3,000まで増えたものの、やがて零細な製造場が淘汰されて明治末には485に減少して今日の焼酎製造業につながっている。
 競争激化と増税といった激動の明治初期を乗り越えて現代に続いてきた酒造の老舗は、どのような経営理念を掲げているのだろうか。1141年に創業した日本で最も歴史の古い酒蔵である茨城県笠間市の須藤本家は、その家訓が「酒・米・土・水・木」で、「良い酒は良い米から、良い米は良い土から、良い土は良い水から、良い水は良い木から、良い木は蔵を守り酒を守る」という意味であり、自然環境を守るため、酒蔵を取り巻く500年の杜を育てている。その一方で、日本で初めて「生酒」、「冷やおろし」を出し、酒米や高精白にもいち早く取り組むなど、環境変化があっても永続性のある本質的な価値を追求している。

 1505年に創業し、伊丹から灘へ移転しながら酒造を続ける剣菱は、「止まった時計でいろ」「お客さまからいただいた資金は、お客さまのお口にお返ししよう」「一般のお客さまが少し背伸びしたら手の届く価格までにしろ」という三つの家訓を持つ。流行についていこうとするのではなく、お客様に報いるという姿勢は、本業にまい進しながら自らを取り巻く存在に感謝するという点で、老舗企業に共通しているようだ。

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