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刃を向ける方向や
リンゴやトマトなど軟らかく力をあまり加えなくても良いものから始めれば
小さな子供でもそう簡単に怪我をするものではありません。
リンゴやトマトは
切ってすぐ食べられるので
子供にとっては
とても楽しいものでしょう。
どんどん切っては
食べ切っては食べと繰り返し
おなかがいっぱいになっても
まだ切っています。
そのうち親に自分が切ったものを食べろと言って持ってきます。
最初は
ありがとうと言っていただきますが
こちらがおなかいっぱいになっても
まだ切っています。
この頃はまだ人のためにリンゴを切ってあげたいという気持ちより
自分がリンゴを切りたいという気持ちが上回っているので
仕方ありません。
子供というのはそういうものです。
年齢が上がるにしたがって
そのリンゴが
ジャガイモになり
ジャガイモが人参や大根に
そしてこの辺りで
一度くらいは血を流し
その後玉ねぎやネギで涙を流し
肉や魚へと
技術を習得していきながら
ぐんぐんと成長が続いていくわけですが
まだまだ子供のうちは自分が作りたいというのが優先。
もっと上手くなりたい
もっと美味しいものを食べたい
という自分中心の欲の塊。
これは全く悪いものではなく
若いときはそれがあるからこそ
僕らと違って
一気に階段を駆け上がるように知識や技術も身についていくわけです。
ただ食べ物の面白いところは
自分以外の人たちも毎日食べているということでしょうか。
自分で作ったものを自分で食べるということを毎日繰り返していると
自分で作ったものを
他の誰かに食べてもらいたいと
思い始めるようです。
最初に始めたのは
もちろん親や兄弟でしたが
そのうち友達や知り合いへと広がっていき
最近は前述の通り
集落のおじいちゃんおばあちゃんにも食べていただいています。
作ることに関して
ある程度上達し
自分としてもちょっとした自信も芽生えてきたところでしたが
自分で食べるのと
誰かに食べてもらうのでは大違い。
育ち盛りの少年が食べるのと
88歳のお年寄りが食べるのでは
食べる量も好みも
全く違ってくるのです。
自分が良かれと頑張って作ると
量が多すぎたり
自分が美味しいと
野菜など歯ごたえを残した調理が
おばあちゃんには固く感じられたり
技術的なことを極めれば美味しいものができると思っていても
その人にとって美味しいかどうかは違うこともあるのです。
どういう風にすればその人が美味しいと思うものが作れるのかということを考えなければなりません。
自分のためにリンゴを切り続けていた長男は今年18歳になり
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山本晋也 ヤマモトシンヤ
副村長
みわダッシュ村
1968年、京都生まれ。美術大学を卒業して渡米後、京都で現代美術作家として活動。そのかたわらオーガニックレストランを経営するも食材を種から作ってみたくなり、京都市内で畑を始める。結婚して3人の子供を授かったころ、農業生産法人みわ・ダッシュ村の清水三雄と出会い、福知山市の限界集落に移住。廃屋を修繕しながら家族で自給自足を目指す。土と向き合ううち田畑と山や川、個人とコミュニティーの関係やその重要性に気がつき、田舎も都会もすべて含めた「大きな意味での自給」を強く意識するようになる。この考え方は、美術家時代にドイツの現代美術家ヨゼフボイスのすべての人が参加して創り上げる社会彫刻という概念に影響を受けた。現在みわ・ダッシュ村副村長。
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