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新・農業経営者ルポ

地域を活性化し、人口減少に歯止めをかけた集落営農法人


ロットが大きくなったことで、有利な販売もできるようになった。最初の6年間は定年退職者で運営をし、組織の体力がついてからは若者を雇用している。今、20~50代の15人と60代以上の30人ほどを雇用しており、まさに人づくりができるようになっている。
小田地区の人口は減少が続いていたのがここ数年横ばいになっている。若い夫婦13世帯が移ってきたからだ。移住するうえで大事だったのは、地元出身の夫の意向ではなく、妻のほうが「小田地区はきれいで子どもの教育にいい。生活費も安くつく」と転居に積極的だったことだという。
車で小田地区を縦断する県道を走っていると、吉弘が「この集落はきれいでしょう」と言う。確かにセイタカアワダチソウが茂っていたり、ススキが視界をふさいでいるようなところがなく、田んぼの畦畔は手入れが行き届いている。
「草刈は年3回でいいと言っていますが、5、6回刈る人が多い。これも草刈にファーム・おだがお金を払う仕組みを作っているから」
とはいえ、住民にここまで行き届いた管理をさせているのは、単に経費が出るからだけではないだろう。地域に対する愛着と誇りが行き届いた管理につながり、Uターン、Iターンを促す。「地域の灯を消さない」という吉弘ら当時のリーダーの思いは、次の世代にも引き継がれていくだろう。
ところで、取材を終えた今も、なぜ小田地区が地域の灯を消さないことに成功し、筆者の実家の辺りは逆に灯が消えたようになってしまったのか、両者を分けたものがなんだったのかはわからない。こうだからこうなったという方程式はそもそも存在しないのだろう。ただ、なんとなくこうなのではないかと感じる部分はあった。
小田地区の場合、合併で広域化する一方の行政が地域のニーズを細かく吸い上げるのは難しいと考え、自分たちで課題を見つけ、対策を立てるべきだと考えた。筆者の実家の場合は、行政経由で持ち込まれた福祉法人に校舎を譲るという案に、住民は行政の提案だからと乗った。その提案がなかったら、何か独自の活用法を考えたのかといわれると、そうなったとは思わない。地域の中で住民が主体的に考えるということの習慣が、小田地区にはあって、筆者の実家のほうには乏しかったのだろう。
ファーム・おだの事務所には「何もやらなければ愚痴が出る。中途半端にやれば言い訳が出る。一生懸命やれば知恵が出る。」という「れば三訓」が模造紙に大書して貼り出してあった。吉弘は見上げながら「好きな言葉なんですよ」と言っていた。負のスパイラルに陥ってもおかしくなかった小田地区の歯車が正の方向に回り始めた理由は、この言葉をより多くの住民と共有できたことにあるのではないか。一生懸命やるということを知っている地域は強い。心底そう思う。 (文中敬称略)

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