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特集

追悼 松尾 雅彦



【契約栽培の産業化で過剰時代の原料流通改革】

昆 松尾氏が消費者起点の社内改革や農工一体の産地改革に乗り出した背景には、食糧が不足時代から過剰時代へと移行したことが挙げられます。詳細は再掲載の「同伴者たち」(1996年8月号)を読んでいただきたいのですが、日本では1971(昭和46)年をピークに翌年から摂取カロリーが減少し続けています。以来、何を食べるかの決定権は生産者から消費者に移り、消費者が王様になっているのです。そして私たちの食生活は原料をそのまま食す生活から加工食品を食す生活に変わりました。「同伴者たち」の中で松尾氏は「ものが過剰な時代になりますと、社会や経済の関係が一変します。そして、人々がそのことに気付くのは、それから10年くらい経ってからでした。(中略)もの不足の時代、農業者は尊敬され、大切にされました。国家予算の多くを、農村へ注いできました。いま、過剰時代になって、都市の人々から反撃をくらっています」と言っています。
過剰時代になって約10年目の1980年に、松尾氏は商品流通改革に続いてジャガイモ農家とポテトチップス工場をつなぐ関係の改革(原料流通改革)を行なう専門の組織、「カルビーポテト」という産地卸を原料部門が分離独立する形で帯広に設立し、自ら社長に就任します。同社の社是が「農工一体」でした。カルビーポテトで取り組んだのが通年供給の実現と、工場で必要とする品質の農家への周知徹底です。その手段として使われたのが「契約栽培」でした。
山下 産地で契約栽培の話をすると、それだけで嫌がられたりしたものです。我々としては必要な時期に必要とする品質の原料を必要な量だけ納めてくれればよいのですが、ジャガイモ農家のなかには全量をとられてしまうと勘違いされたりしました。それにそもそも加工業の言葉が農家の人には通じませんでした。工場ではイモの品質がよくないと、「トラックごと持って帰れ」などと平気で言います。けれど一山いくらの世界に慣れていたり、天候などに左右されるのが当たり前という農家は反発する。それまで別世界で生きてきたお互いの言葉を通訳し、間を取り持つのも産地卸の役割でした。
昆 当時は契約栽培を「カルビーという大資本による農民支配だ」という声もありましたね。
山下 松尾氏はそういう声には屈しませんでしたね。むしろいい意味で、農家の経営により関与しようとしました。当初は生産に関してはプロである北海道の農家に任せようと口出ししなかったのですが、「北海道はよい作り方をしていない」と農水省元技官の同僚に聞き、米国やドイツの産地も調査していました。

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