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【地域活性化という「遊び」】
「輝いてるか?」と問いかけた時に見えてくるもの
- 副村長 みわダッシュ村 山本晋也
- 第25回 2018年03月29日
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亡くなりました。
移住前僕らが暮らしていた京都市内で駄菓子屋を営んでいた
ごく普通のおばちゃんですが
僕は生きていく上でこのおばちゃんから多大な影響を受けました。
誰に似たのか
子供の頃から自分がやりたいことを見つけると
後先考えず突っ走ってしまう性格で
親や親戚はもちろん
近所の人たちにまで
叱られてばかりだったのですが
このおばちゃんにだけは
叱られた記憶がありません。
叱るどころか
どんな無茶な取り組みにも
「人間な、どんなことしとってもその人が輝いとったらそれが一番ええのや」
といつも味方してくれた。
8年前40歳にもなって突如として「農業やってみたい」と
3人の子供を連れ福知山の限界集落に移住を決めた時も
心配する人が多い中
このおばちゃんだけは
「しんやくんやったら大丈夫」
「人生なんか一度きりやから誰かに遠慮する必要なんかあらへんで。人間はもっともっと自分らしく輝いてええねん」
と応援してくれた。
「しんやくん あんた輝いてるか?」
これはこのおばちゃんが僕に会うたび口癖のように言っていた台詞で
僕が今でも
一番大事にしている言葉です。
子供の頃から自分がやりたいことを見つけると
後先考えず突っ走ってしまう性格で
親や親戚はもちろん
近所の人たちにまで
叱られてばかりだったのですが
このおばちゃんにだけは
叱られた記憶がありません。
叱るどころか
どんな無茶な取り組みにも
「人間な、どんなことしとってもその人が輝いとったらそれが一番ええのや」
といつも味方してくれた。
8年前40歳にもなって突如として「農業やってみたい」と
3人の子供を連れ福知山の限界集落に移住を決めた時も
心配する人が多い中
このおばちゃんだけは
「しんやくんやったら大丈夫」
「人生なんか一度きりやから誰かに遠慮する必要なんかあらへんで。人間はもっともっと自分らしく輝いてええねん」
と応援してくれた。
「しんやくん あんた輝いてるか?」
これはこのおばちゃんが僕に会うたび口癖のように言っていた台詞で
僕が今でも
一番大事にしている言葉です。
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山本晋也 ヤマモトシンヤ
副村長
みわダッシュ村
1968年、京都生まれ。美術大学を卒業して渡米後、京都で現代美術作家として活動。そのかたわらオーガニックレストランを経営するも食材を種から作ってみたくなり、京都市内で畑を始める。結婚して3人の子供を授かったころ、農業生産法人みわ・ダッシュ村の清水三雄と出会い、福知山市の限界集落に移住。廃屋を修繕しながら家族で自給自足を目指す。土と向き合ううち田畑と山や川、個人とコミュニティーの関係やその重要性に気がつき、田舎も都会もすべて含めた「大きな意味での自給」を強く意識するようになる。この考え方は、美術家時代にドイツの現代美術家ヨゼフボイスのすべての人が参加して創り上げる社会彫刻という概念に影響を受けた。現在みわ・ダッシュ村副村長。
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