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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

貧困からは何も学ばない!

私のせいなのか?

2004年10月1日の北海道・毎日新聞に“来年遺伝子組み換え栽培か”の見出しが出てから北海道の農業界に挑戦する私の名前が頻繁に聞こえてくるようになった。
「自慢か!」そう、単なる売名行為であればそれはただの目立ちたがり野郎の延長で済んだ話だった。私がテレビ、新聞などで好き勝手に言うものだから、その物言いに苦々しく思った方たちと組織があった。
その年の春くらいから道庁農政部では北海道において遺伝子組み換え作物は北海道農業にどのように影響を及ぼすか、栽培には規制は必要なのかなどを話し合っていた。
結論から言うと、私が出しゃばらなければ少しは違っていた、らしい。04年10月1日までは研究機関は組み換え作物栽培には許可も届け出も必要なし、生産者は道庁農政部に紙切れ1枚を届け出するだけで栽培可能だったようだ。
「はい、はい、悪るーございました」と言って、クルッと回ってペロッと舌でも出しましょうか。10月2日に知っていたら、しっかりそのように対応していたかもしれないが、この北の大地においてパイオニア精神全開のオヤジが放った矢の行方は直球ど真ん中だった。
そんな裏事情を知ったのは半年くらい経ってからであったが、その時点でメディアは道庁サイドにも取材をしていたので、そのことを私に伝えず世論を面白く煽った。実にの良い連中は癖が悪い! これは道庁・農政部だけではなく、その政を現場で仕切っていた北海道大学の一部の教授も同罪なのだ。
この同罪の汚名を着せられた農学部の教授は“私は科学者だから遺伝子組み換えに反対の立場はとれない”と言いながら、出した結論は研究所などには届け出のみ、生産者は32万なにがしの現ナマと、税務署に提出する書類の何倍もの関係書類を必要とする条例を作り、「さすが私はエライ!」と、さぞかしご満悦に酔いしれるのだからオメデタイ先生(もちろん良い意味)である。さらに悪い癖があったようで、この条例づくりを仕切っていたオメデタイ先生は会話の最後に“消費者が理解するまで農家に組み換えはさせない!”と小さな声で吠える。

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