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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

貧困からは何も学ばない!



もちろん知っているのだ。

北の大地に花咲く北海道大学農学部の教授である。化学的にどうなのか、その当時で組み換え作物が登場して9年が経ち検証は十分できた。どれだけ生産者に利益を与え、どれだけ生産者の苦役を解放できるのか。その結果、北海道農業のみではなく、流通、加工、販売、消費にどれほどのメリットを与えるか想像しただけでもテストステロンが放出されオッタッテくる(男性特有の現象)のだ!
そのようなことが分かっていながら、なぜオメデタイ先生は生産者に許可制を作ったのか? 私よりも目立ちたがりで、よくある学者の名誉欲の一部なのかもしれませんね。ここで生産者には届け出のままにしていたら、オメデタイ先生の存在価値がゼロになる恐怖もあったのでしょうか。遺伝子組み換え作物栽培のハードルを上げれば自分の社会的価値も上がるとでも考えたのでしょうか。生産者目線からしたら、そんなオメデタイ先生の存在など、どうでもいいことで近い将来この判断は行政の権限を越えた遺物である、と評価されることを望みます。

パイオニア精神

まだこのオメデタ話は続きます。北海道産業用大麻可能性検討会なるものが道庁主催で立ち上がり、無毒の麻の栽培を普及しましょう! となった。本誌でも以前この件について記事が記載されていました。
このオメデタイ先生は、その後ラジオに登場して“組み換えは消費者の……”と規制は正しかった持論を持ち出すことになる。麻に関しては“このようなまだやったことがないことを挑戦するのがアメリカから引き継がれたパイオニア精神を持った北海道には必要です!”は? え?おい、マジで今なんて言った?
やっぱりそうか、組み換えは賛成だったが、生産者に主導権を握られたくなかったということですね。
パイオニア精神という言葉を使うやつに限って、うさん臭さがプンプンする。確かにある農学部教授のように“ここは農学部であって農業学部ではありません”と本音を言っていただいた方が気持ちは楽になれる。

作物をたくさん作ることは悪なのか?

同じ農学部のある名誉教授は道北の寒村の生まれで、町から10kmくらい離れた地区の小学校に通っていたそうだ。想像してほしい、戦後すぐのときだ。もちろん給食はない。教室の中では先生と半分の生徒はおにぎり一個であったり、冷え切ったイモを食べ、生徒の半分くらいは弁当も持って来れないので、冬期間は屋根のツララをやかんで溶かしてすすっていたという。その名誉教授は農家だったので最低限の弁当はあったそうだ。私は「分け合うことはなかったのですか?」と聞いた。答えは「同級生であっても分け合うことはなく、自分たちが黙々と食べる姿に恐怖を感じた」だった。

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