ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

高橋がなりに鍛えられたナンパ師のまっとうな農業


ぶどう農家の長男だった内田が国立ファームに入社するのは29歳と遅い。それまでは家業を手伝いながら、空いた時間でナンパしたり、海外放浪の旅に出ていた。農業を職業とするには抵抗があり、高校や大学選びでは農業系をあえて外していた。
余談だが、内田は下戸のため、ナンパしてもお酒の力が借りられなかった。場数を踏むうちに一つの奥義を編み出すのだが、それはちゃんと会話し、相手を楽しませることに全力を注ぐというものだった。1人でアタックするときも複数で行動するときもその方法を貫いた。外国でもそれは同じだった。こうした配慮で成功率を高めていった。
そんな内田に転機がやってくる。入会したばかりの4H(農業青年)クラブで全国大会が東京で開かれるというので参加した。そこで講演していたのががなりだった。彼に魅了された内田は、会社を立ち上げた直後で社員を募集しているというがなりに会うため、当日の夜に事務所を訪ねる。後日に指定された面接は無事通った。この人についていけば何かが変わるかもしれないという期待感が、笑顔もない過酷な状況に追い込まれるまで時間はまったくかからなかった。

4年で30人が5人に、過酷な職場で逃げずに結果を出す

同期は30人前後にも上った。「有象無象枠」と呼ばれたそのカテゴリーは、ベンチャー企業で成り上がっていこうとするようなギラギラした連中の集まりだった。農家出身は内田と東北の女性の2人だけに過ぎなかった。
業務が始まると早い者は1カ月で辞めた。企画の説明やプロジェクトの報告はがなりが受けていた。彼がお客さんの立場になり、不快と感じれば容赦なく却下された。何日もかけて資料を作成するも、1枚もめくってもらえずに説教されることが多々あったという。そこにはがなりの考えが隠されていたのだが、当人たちは知る由もなかった。
「企画を通したら『お前、遅ぇよ』ですから、これまでの努力はなんだったんだとかってなりましたね。でも、後から気づいたのが、仕事のやり方とかお客様への接し方とか、元がしっかりとしていないと会社のイズムが伝わらないですよね。ましてやできたばかりの会社です。上司を含めとにかく厳しく指導されましたけど、外に出たときは失敗がものすごく少なかったですね」
同期の半分は1年も持たず、内田が入社から4年経って一定の成果を残して“卒業”するときには5人を数えるのみになっていた。どんなに辛くても続けることを念頭に、休まないことと遅刻しないことを守り抜いた。

関連記事

powered by weblio