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新・農業経営者ルポ

高橋がなりに鍛えられたナンパ師のまっとうな農業


ここでいう一定の成果とは自社生産のソルトリーフの取扱店舗の拡大に当たる。ある日、新聞を読んでいたがなりが「バラフ」という塩味がする野菜を見つける。内田ら生産部のメンバーはさっそく取引先の農家に呼びかけ、一緒に試作しておよそ2年で栽培法を確立させる。がなりからは常々「4番バッターを探せ」、つまりヒット商品を探せと口酸っぱく言われていた。その候補に挙がったのがこのバラフ(別名アイスプラント)だった。
内田は入社3年目から営業も兼務するようになっていた。バラフやアイスプラントでは商品イメージが湧かないことから「ソルトリーフ」にし、現物を手にスーパーマーケットやデパートへ赴いた。ところが、小売の反応は一様に鈍かった。
「よそにない商品を提案すればそれが突破口になると踏んだんですけど、『世の中にないものなんてお客さんに勧められない』の一点張りです。その前に篤農家から調達した野菜を持っていっても『世の中にあるものは要らない』ということでしたし、要は新しい業者が来るのは煩わしいってことなんでしょう。とはいっても、ここで引き下がるわけにはいきませんから、自分たちで売るので見ていてくださいとお願いしました」
かくして国立ファームのソルトリーフ部隊が躍り出す。商品単体の売り上げを伸ばすだけではなく、それをきっかけにインショップを出店させてもらって篤農家の野菜も販売する目的があった。それだけに責任は重大だった。
多いときで総勢7人の営業マンは次々と販路を広げる。小売側も売り上げさえ立てば文句は言わなかった。ここで内田は実家のぶどう園へ戻るのだが、現場は瀕死の状態に陥っていた。

借金2000万円、経営改善で窮状の打破を目指す

貴重な社会経験を積んだ内田は自信に満ちあふれていた。しかし、それをプラスアルファの方向に働かせるよりプラマイゼロに引き上げることが先決だった。経営は火の車で、仕事が全然間に合っておらず、手入れされていないぶどうの樹は品質も下がっていた。もともと内田が最初に就農する前もこのような有り様ではあった。1年の期限で国立ファームに入社するも、本人のプロジェクトを軌道に乗せてから戻りたいという意志から4年の空白期間ができていた。売り上げもその間に5割近く落ち込んだ。
「国立ファームにいたときは父の日出輝に会えばいつ帰ってくるんだとばかり言われていましたけど、いざ入ってみると自分の給料も出ないほどでした。時給にしたら最低賃金の半額以下の400円とかです。赤字にしてもどれだけの額なのか聞いても把握していませんでした」

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