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編集長インタビュー

新生スガノは原点「白の理念」を忘れない 乗っ取り騒動の真相と再建への道筋


渡邊 そうでしたか。まさしく我われの商品開発の根源というのはお使いになっている方ですから、ともかくそこにアンテナを張らなければどうしようもありません。
昆 昨年の騒動の最中に、販社に部品や実演機を持たせるようになりましたが、以前のようにスガノの営業所で部品を抱えたり、実演機を保有したりしていただきたいですね。
渡邊 もちろん私どもで持てるものは持って、きちっと営業ができる体制をつくらないといけないと思っています。生産体制についても、資金調達を工夫して整備しなおして、新商品の計画を加速したいと考えています。今年は国際農機展がありますので、着任直後から新製品開発の準備を始めたのですが、はじめは既製品に毛の生えたようなアイディアしか上がってきませんでした。
昆 別注品を作らなくなったのは紛争が起きる以前の充八氏の時代からかもしれませんね。
渡邊 充八氏はモノづくりには興味がなかったように思います。新しい提案も含めて自由に発言できる会社ではなかったのかもしれません。工場でモノづくりをやってきて、営業も経験した人財を開発部門に抜擢しましたので、流れは一気に変わると思います。
昆 別注品についてはなんでも引き受けるというわけにはいかないでしょうけれども、できるだけ顧客の意向に添えるように、あるいは一緒に製品をつくっていくというニュアンスを出されると良いのではないかと思っています。
渡邊 余談ですが、私自身は三越で岡田体制という強権時代を知っていまして、そこに真っ向から逆らった人間なんです。
昆 そうか、三越のその事件は当時ニュースになりましたね。そのときはどんなお立場だったんですか?
渡邊 ちょうど平社員から主任になったくらいでした。岡田自身も強権政治を強いていましたが、その愛人だった武久というのが若手を一本釣りしていたんです。私も引っかかりましたが、断りました。さらに、岡田が背任をする過程のなかで具体的な指示が上司からありましたが、ここでもやりませんと断りました。そのときは、自分がそこで会社を裏切ったら、そのことが一生残ると思ったんですね。
昆 なるほど。そういうご経験があって今回の騒動のなかでも上しか見ていない社員のことを「養殖ヒラメ」とおっしゃっていたんですね。
渡邊 冷や飯を食わされたこともありましたが、結果的にはそういう風に生きたことが良かったと思っています。私自身、ヒラメは嫌だというのが正直な気持ちです。自分がやってきただけに、「戦えよ、お前ら!」と言いたいんですよ。

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