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実践講座:したたかな農業を目指す会計学 続・入るを計り出を制す!

農村社会と集落の話(1)取り巻く環境の変遷と住み心地から考える

いまや田舎は不便で生活しにくいところではない

学生時代の師匠が他界して1年が過ぎた。私が所属していたのは農村社会学研究室である。師匠は早くからパソコンを使いこなし、「情報処理は大切だ」と語っていたことを懐かしく思い出した。一般教養の情報処理論の講座で教わった、経営の話とリンクさせて「ヒト・モノ・カネに次ぐ4番目の経営資源は情報で、これからますます農業経営にとっても重要になる」という話は、いまでも私の思考の礎になっている。
あれから二十数年が経ち、いまやIT革命の恩恵は計り知れない。パソコンの性能は驚くほど良くなり、手に入れやすい価格になった。学生時代にシステムエラーと格闘しながら情報を入力して、相関だの偏差だのと苦労したグラフ作成も、いまや瞬殺できることだろう。簡単な情報処理ならタブレットのアプリで十分である。総務省の情報通信白書によれば、2016年の世帯における普及率はパソコンが73%、スマートフォンが71.8%。インターネット環境もそこそこのデータ転送速度なら、田舎でも快適に利用できるようになった。
たとえば、手紙を郵送しなくてもEメールで世界と情報交換ができるし、欲しいものは遠方の店でも直接行けなくてもインターネットショッピングで手にすることができる。ネットバンクの登場で、郵便局か農協しか選べなかった農村エリアでも金融機関の選択肢が増えた。最近は関係機関に提出を求められる書類も、パソコンで入力したものを返信して、後日窓口に出向いて捺印するスタイルが一部で可能になった。このように、実際の商品を手にとって吟味する機会こそ、都会には叶わないが、利便性は格段に上がったといえるだろう。
昔は「街に出れば、いろいろなものがあっていいな」という漠然とした思いがあったものだが、ここまで暮らしが変わると、俗に言う田舎は不便で生活しにくい過疎と考えるのは早計である。単純に都会と農村を比較する意味がなくなったのだ。
わかりきっていることは、都会との決定的な格差の要因のひとつが、田舎には工場等に代表される働く場所が少ないことである。だが、その意味で農業には限界があると言われることには賛同できない。その格差を埋めるのは難しいとしても、雇用の大小はあれども、農業が地場産業として就業する場所を提供できれば、田舎なりの経済を回すことができると信じているからだ。限界があるかどうかを決めるのは、農村が経営者の集合体であるかどうかにかかっている。したがって、農村経営のあり方次第で、可能性はいくらでもあるのだ。農村が都会と大きく違うのは、構成員が限られていることである。限られた人員で将来を見据えたときにどのように考えて、行動に移していくのか、読者の皆さんもその当事者であろうと思う。農業経営については、とくに帳簿の数字を眺める重要性を説いてきたが、少し視野を広げて「農村経営」について数回に渡って考えてみたい。

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