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イベントレポート

連続シンポ 北海道酪農の歩みと将来展望


曾祖父が初めて就職した真駒内の牧場は、北海道開拓のためにアメリカから呼ばれたお雇い外国人のエドウィン・ダンが開いたものだ。この牧場に曾祖父が勤めていたころ、後に酪農専業スタイルを確立した宇都宮仙太郎氏が訪れており、その後アメリカへ乳牛の勉強のために留学している。帰国後、仙太郎氏は札幌で市乳の販売を開始した。その仙太郎氏の牧場に子供のころによく遊びに行っていたのが祖父の町村敬貴である。牛の世話を手伝い、牛が大好きになって、早いうちから酪農家を志した。そして、祖父は札幌農学校を卒業後、アメリカに渡る。アメリカ行きの段取りは、仙太郎氏が手配したようである。アメリカで10年間実習し、大学にも通った。30歳を過ぎてから日本に戻って結婚した後、また単身で3年ほどアメリカで過ごした。帰国後、1917年に石狩で町村農場を創業、そこで10年経営し、1927年に江別へ移転する。牧場を始めたころの生業は、牛の繁殖や個体販売が中心で、搾乳してはいたが、祖父の関心は専ら牛づくりにあった。実習生もたくさんいたため、牛を売らないと農場の経営が成り立たないということで、祖母が祖父のいない間に牛を売って経営を支えていた。時代が変わり、個体の販売価格が下がり、父の代には繁殖事業を一農家が手がけるのが難しい時代になっていた。そして、新しい事業として、1966年に飲用牛乳事業を始めた。
時代が変わり、だんだんと経営の主体が牛乳・乳製品へと移りつつあるなかで、移転することになる。そのときの兄の判断として、町村農場は今後、牛乳・乳製品の販売で生計を成り立たせるという決心をしていた。当初は、牛乳とバター1種類しか製品はなかったが、それ以降、ヨーグルト、祖父がアメリカから持ち帰ったレシピをそのまま商品化したアイスクリーム、低脂肪乳や無脂肪牛乳など、新商品を開発して販売している。町村農場の商品は、お客様に値段が高いといわれ、店舗に置いてもなかなか買ってもらえなかったため、直接売ることができるようにと、1998年に初の自社ブランド専門店を江別市内のショッピングセンターに出店する。現在は、本社直売所を含め、江別市内3店、札幌市内に3店、東京・大阪に各1店、横浜に2店展開している。
また、牧場内では2000年にバイオガスプラントを稼働させた。移転前(江別)は牛の排泄物をたい肥化して畑にまいていた。しかし、移転後はスラリー処理をしてゲル状のまま肥料化した。これがたい肥とまったく異なる臭いで、すぐに周りからクレームがあった。その悪臭対策として8年後にたどり着いた結論がバイオガスプラントの設置であった。

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