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イベントレポート

連続シンポ 北海道酪農の歩みと将来展望


「若い人が農業をする意欲が、プライドだったり、共進会で一等賞を獲ることだったり、きれいな牛を並べて自慢すること、に基づいているのは本当ではないのですか?」「牛しか利用できないところに牛を入れて土地を良くし、そこから収入を得て、人間が食べさせてもらうということを日々感じながらやれないと、本物ではないのですか?」
それに対して、酉蔵氏は「お前の言うとおりだ」と答えたという。
最後に、干場氏は、耕一氏が発信しているFacebookの写真を見ても、牛や自然と人間が共生できる酪農を目指していることが伝わってくると締めくくった。

パネルディスカッション

干場氏と高橋圭二氏(酪農学園大学教授)の司会で、宇都宮治氏、町村均氏、西本幸男氏(デーリィマン社顧問)をパネリストに迎え、活発な意見交換がなされた。まずは講演を受けて西本氏からまとめとして感想が語られた。
本日は、酪農の草創期についてたいへんよいお話が聞けた。4月に、不足払い法から改正畜産経営安定法へ変わる、たいへん大きな変化を迎える時期に、たいへん意味のある機会であった。
数多くの牧場がなくなっていくなかで、3つの農場がいまも経営を続けているところに非常に驚き、驚異だ。干場氏が今回狙いとしているのは「酪農の哲学」である。哲学は、学問的なものではなく、いままでの経験から築き上げた人生観、世界観、基本的な考え方、思想にあると思っている。それは、町村敬貴氏の「土づくり、草づくり、牛づくり」、宇都宮仙太郎氏の「酪農三徳」、黒沢酉蔵氏の「三愛精神」「健土健民」を具体的に示したものではなかろうか。酪農牛乳からスタートし、飲用牛乳が余って、当初北海道では基本的には練乳に加工され、50年後にバターが作られ、いま北海道酪農は全国の53%の生乳生産を占める。その礎が、明治維新の数年後の明治政府による政策により、酪農を主体とする北海道開拓事業となる。酪農のためにお雇い外国人として招かれたエドウィン・ダン氏のアメリカ式酪農は行き詰まりを見せたが、その後、町村金弥氏、宇都宮仙太郎氏、黒沢酉蔵氏などの出会いとつながりが酪農を発展させ、今日につなげてきた。
また、当初開拓時の乳牛はエアシャー種を推進していたが、牛乳の需要の高まりから宇都宮仙太郎氏によってより乳量の出るホルスタイン種が導入されるとともに日本に根付いた。これも、明治維新というか、民間が主導したすばらしさがある。

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