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シリーズ追悼 松尾雅彦

「日本で最も美しい村」連合に込めた志

松尾雅彦氏はカルビーの社長退任後、「日本で最も美しい村」連合という新たな夢にエネルギーを注いだ。その原動力は、一時代を築いた企業人として、よりよい時代をつくり、次世代に継承しようという使命感だった。カルビーの経営から「日本で最も美しい村」「スマート・テロワール」へと、松尾氏は生涯を通じて志を貫いた。「日本で最も美しい村」という姿で現われた志とは何だったのか。
私が松尾さんに出会ったのは、いまから30年ほど前のことである。当時、カルビーの副社長を務めていた松尾さんは、会社にイノベーションを興したいと、(株)日本能率協会コンサルティングでマーケティングの第一人者として活躍していた菊野恒夫を訪ねた。菊野の下で働いていた私は、それから4年間、新鮮なポテトチップスを消費者に届けるセールスイノベーションというプロジェクトに携わった。その後、松尾さんが菊野を塾頭にして開いた経営者向けの「松尾塾」で、菊野の後に私が塾頭を務めた。
こうした縁で、私が独立してコンサルティング会社を立ち上げた後も、松尾さんは私を応援してくれるようになり、これまで長くお付き合いすることになった。

着想はフランスの村から7人の村長が集結

松尾さんは、2005年にカルビー社長を退いた後、しばらく表舞台に姿を現さなかった。後に米国に勉強に行っていたと聞いたが、当時は、松尾さんはすっかり引退したのではないかと噂された。しかし、その間、松尾さんは着々と次の夢に向かって準備を進めていたのである。
ある日、松尾さんの部下の方から私に連絡が入った。松尾さんの体調が悪いので、代わりに「日本で最も美しい村」連合の発起・設立総会に行ってくれないかというのだ。松尾さんのお達しなら断れない。私は、わけも分からないまま、北海道美瑛町に飛んだ。そこで出会ったのは、会長に就任した美瑛町の浜田哲町長をはじめ、7人の町村長たちだった。

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