ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

実践講座:したたかな農業を目指す会計学 続・入るを計り出を制す!

農村社会と集落の話(2)特定農山村の行く末は本当に不幸なのか

農村での地産地消は農業振興策にあらず

地産地消が叫ばれるようになって20年は過ぎたであろう。国が生産地を指定し、そこで大量生産した農産物を都会等で消費するという流れに逆行する発想には大いに賛成である。だが、この用語はどうも好きになれない。その理由は2つある。
まず、子どものころから究極の地産地消、すなわち自家菜園で採れた野菜を食べ飽きるほど口にしてきたからだ。いまや子育て環境としては贅沢と言われるかもしれないが、当時は都会のファーストフードやファミレスに憧れたものである。その傾向は行動範囲が広がるにつれて強まり、地元産の価値を顧みるより、ほかの地域で採れる食材や食品、輸入食品に興味が湧くようになった。我が家の農産物は日本一であるという自負とは裏腹に、田舎の農家生まれにありがちな話であろう。
もう一つの理由は、地産地消が農業振興策として広く捉えられていることにある。普及員時代にも青年部や4Hクラブと連携して、保育所や小中学校、老人ホームなどに地元で採れた農産物を配達したり、地元食材を使った調理実習をしたり、時間を見つけては出かけた。立場は変わり、いまはPTAとして田植えや炊飯、しめ縄制作等の指導役を引き受けている。私はこうした活動を農業振興ではなく、農業者や関連団体にとっても良い形の社会貢献活動だと認識している。しかし、残念ながら我が町ではこうした活動が農業を盛り上げる策にはなり得ない。経済を動かすには規模が小さすぎるのだ。
それゆえに周辺地域も含めた消費量から逆算することなく、一律に地産地消を農業振興の糸口であると発言する人をみると、間違いを指摘したくなる。地産地消を叫びながらも、大量生産・大量消費と同じ農業生産起点のプロダクトアウトの発想を超えていないのではなないか、と。地場産の農産物を消費するマーケットがなければ、さらには関連産業が成長しなければ、地産地消が目指すところのマーケットインの流通は成り立たない。自慢の特産品に地元民が愛着を持つことと、特産品を活かした町おこしと、産業発展の意味での農業振興、これらを混同してはいけないと思う。

関連記事

powered by weblio