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知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ

米国(1) 幻の“10 億ドル産業の作物”栽培禁止から解禁への道のり

1930年代までは愛国作物だった

第二次世界大戦以降、世界的にヘンプの栽培禁止の流れをつくった米国だが、植民地時代から布やロープ類の確保のためにヘンプ栽培を推進していた歴史がある。
1776年の独立宣言の草案はヘンプ紙でつくられていたし、初代大統領のジョージ・ワシントンも第3代大統領のトーマス・ジェファーソンも、共にヘンプ農家の出身だ。また、現在の100米ドル紙幣に描かれているベンジャミン・フランクリンは、米国初の製紙工場を立てて、古くなったヘンプのボロ布からラグ・ペーパーをつくる事業を興した。金を求めて西海岸へ移民が増えたゴールドラッシュのときには、幌馬車に使っていたヘンプ製の丈夫な生地を採掘作業員の衣服に利用したものが飛ぶように売れた。後に世界的ジーンズメーカーとなったリーバイスの創業時のビジネスもここから始まっている。
全米のなかでもケンタッキー州は、ロシア産の輸入ヘンプより地場産を増やすために1800年代初頭から栽培を奨励した。1850年の全米調査では、栽培面積が800ha以上の農園が8327カ所あったことが記録されている。残念ながら南北戦争以降、ヘンプ栽培の多くは綿花
に代替されることとなるが、加工段階での機械化の研究は密かに続けられた。1917年に開発されたシュリヒテン皮剥機は、従来ヘンプから繊維をとるために池や川で行なっていた浸水作業をせずとも、農場で機械的に分離できる点で画期的だった。
ヘンプの需要が陰りを見せた頃に業界に光明を照らしたのは、自動車産業の育ての親とも称されるヘンリー・フォードである。石炭や石油などの化石資源ではなく、ヘンプのようなバイオマス(生物資源)を使うべきだという考えの下、1930年代に車体にヘンプ繊維を、燃料にヘンプオイルを使った「土に還るオーガニックカー」を開発し、試作車を41年に発表したのだ(図1)。この取り組みに注目した雑誌『ポピュラー・メカニックス(38年2月号)』は、ヘンプを“新たな10億ドル産業の作物”として取り上げた。記事ではヘンプから2万5000種類の製品ができると紹介され、世界中のヘンプ起業家はいまでもこのキャッチフレーズを愛用している。ちなみに、現在の紙幣価値に換算すると約10兆円規模に相当する。

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