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新・農業経営者ルポ

ソバージュ栽培トマト界のキング、ここに見参

民間のとある農業関係のコンテストで兵庫県篠山市の鎌塚忠義(34)は二連覇を果たしていた。その際の受賞写真が2017年大会の開催告知に載っていたのだが、風貌からするに流行を追う青年と思わずにはいられなかった。一般にはまだ知られていないトマトのソバージュ栽培がテーマだったこともある。ところが、彼が三連覇をかけて出場したそのイベントで実際にプレゼンテーションを聞くと、こちらの認識が間違っていたことに気づかされることになる。惜しくも快挙は逃したが、今年で就農6年目の新規参入ながら、時代と逆行する“顔の見えない”農業を志そうとしていた。 文・人物撮影/永井佳史、写真提供/鎌塚忠義
翌日の17年11月25日、イベント会場の神戸から鎌塚の農園がある篠山へ場所を移して取材した。一月ほど前に第一子が誕生したばかりのため、自宅には上がらず、近くの喫茶店で話を聞いた。
鎌塚は北海道浦臼町の水田農家出身で、3人兄弟の末っ子になる。実家には3つ年上の長兄が入り、父と一緒に約25?haの規模で水稲と転作で大豆を生産している。
父は息子たちに農場の後継を是が非でも望むタイプではなかった。継がないのであれば、他人に譲っても構わないとこぼしていた。
長姉と長兄が道外の大学に進学したこともあり、鎌塚も同じように北海道を離れた。兄が名乗りを上げなければ、将来的に自分が引き受けたいと胸に秘めての旅立ちだった。しかし、両者の在学中に長兄が突然父に申し出たことで、そのチャンスはなくなった。
鎌塚は大学卒業後も兵庫にとどまり、自営業や塾講師で食べていった。塾への在籍が2年を過ぎたころ、25歳になっていた彼は今後の方向性を模索する。帰省した際、祖父からこんなことを言われた。
「30歳くらいまでにかちっとしておけば、それまではふらふらとしていてもいいんじゃないか」
そのとき、脳裏をよぎったのが一度は断念した農業だった。

就農3年目で貯金が底を突きそうになる

税理士も頭にあったが、最終的に農業で落ち着く。さっそく30歳で独立することを念頭に逆算する。農業研修の都合で遅くとも27歳までに塾講師を辞めなければならないとめどを立てると、そのとおりに実行した。研修先は縁があって県内の篠山市に決まった。北海道については、経営移譲ならまだしも、新規就農ではハードルが高いと感じ、対象から外した。
当初は漠然と高価な野菜を作って売ろうと考えていた。地元の関係機関からはトマトなどの単一栽培を勧められたが、お茶を濁して断った。

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