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【農業は先進国型産業になった!】
外国人実習生の現地ルポ 実態と課題と展望 第3回 全国一のイチゴ産地、実習生受け入れて生産維持 栃木県真岡市(旧二宮町)
- 評論家 叶芳和
- 第15回 2018年06月28日
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(注)当地域のイチゴ栽培の中心は旧二宮町(09年、真岡市に編入合併)である。江戸後期、小田原藩主に命ぜられ「下野国桜町領」の再興のため赴任させられた二宮尊徳(金次郎)は、儒教の五徳を踏まえ協同組合の先駆けといわれる相互救済組織(報徳社)をつくり、独自の農村復興事業を指導した。最初にイチゴを導入したのは二宮尊徳の陣屋(役所)があった桜町(後の芳賀郡二宮町、現在の真岡市物井)の農家である。当初、コメや麦に代えてイチゴを栽培することに地域の農協は批判的であったが、革新的なことに意欲的な桜町の人たちが先行した。二宮尊徳の精神が生きていたのだ。
当地域のイチゴ栽培は昭和初期に始まっているが、本格化したのは1950年代である。麦類の統制廃止(52年)で、麦の二毛作で収入を得ていた農家が新作物としてイチゴを導入した。さらに70年代の減反政策を契機に、イチゴ栽培が経営ベースで本格化した。71年には水稲売上とイチゴ売上は大差なくなった(当時はダナー品種、82年まで)。
今ではコメよりイチゴの方がはるかに収入が多い。JAはが野管内では、イチゴ作付面積(ハウス面積)は194ha、これに対し水稲の作付面積は9058haであるが、売上高はイチゴ85億円、水稲36億円である。イチゴは作付面積は小さいが、売上高は水稲の2倍以上だ。
先に図2および表1で見たように、全国のイチゴ生産は減少トレンドが支配している。しかし、旧二宮町のイチゴ生産は数量も金額も減少は見られない。表3に示すように、2005年に比べ17年の販売金額は15%の増加である。数量は横ばいだが、単価アップが寄与した。
【若い人材が技術革新】
二宮町の競争力の源泉は、第1には冬の日照時間が長いという自然条件の有利さがある。第2は「とちおとめ」という競争力の強い品種を持っていたことであろう。もうひとつ、第3に、若い人材が多いことだ。イチゴ栽培は技術進歩が大きい。栃木県の10a当たり単収は1970年代の1・6tから、2000年4・8t、16年4・3tに向上した(全国平均は1・3tから、2・7t、3・0tに上昇)。(注、栃木県の単収が00年代になって下降トレンドにあるのは何故であろうか? 意味不明)。
若い人は新しい技術にすぐ飛びつく。炭酸ガスや電照など新しい技術採用で単収も高い。高齢者は新技術の採用がなく、従来通り。二宮地区は若い人が多いため技術革新に積極的と思われる。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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