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「イタリアの田植えの話。毎年5月に40日間ほどの田植えのために、出稼ぎ労働者がイタリア南部から集まってくる。全員女性だ。彼女たちをモンディーナと呼ぶが、日本では早乙女のこと。そのモンディーナたちを運ぶために専用列車が何本も用意される当時の一大事業。全員、最終日に賃金と5キロほどの米をもらう。戦後、まだまだ貧しいイタリアの話だ」
荒っぽい作りの映画だったという印象が残っている。象徴的なのは、苗ではなく雑草を手にしていることだった。そんなディテールのちぐはぐさへの批判を沈黙させたのは、主演のシルヴァーナ・マンガーノら女優陣のグラマラスな姿態。そのエロさに魅かれて映画館に行ったファンがたくさんいたに違いない。筆者もそのひとりだった。
イタリア南部からモンディーナたちを集めるようになったのは、当時のイタリア経済を反映してのことだった。イタリアの水田地帯は、北イタリアのピエモンテ州やロンバルディア州のポー川の流域に拡がっている。この両州は、イタリアでも最初に経済復興が始まった地域だ。ピエモンテ州の州都トリノには、同国を代表するフィアット社の本社工場がある。そのトリノからロンバルディア州の州都ミラノにかけてフィアットの下請け工場がいくつもあった。映画が製作された戦後間もない頃でも、男も女も工場労働者に駆り出された。
これに反してローマ以南のシチリアを含めたイタリア南部は、当時も今もこれといった産業がなかった。産業といえば、出稼ぎで稼いでくる賃金収入だった。出稼ぎ先は、イタリア国内だけでなかった。西ドイツや米国などへの出稼ぎ労働者も多かった。もっとも多く出かけたのは、同じ戦敗国で一足早く復興が軌道に乗り出し始めていた当時の西ドイツだった。
当時の映画の番宣には、「5月初旬。田植えに向かう季節労働者たちで溢れるトリノの駅。ヴェルチェリ駅行きの出稼ぎ専用列車に乗った」という記述がある。ヴェルチェリ駅は、そのホテルのあるノヴァーラ駅からポー川の支流をはさんで2駅西にある町だ。
「苦い米」の写真をインテリアに使うセンスの良さに感服して都合4泊もしてしまった。フロントのマッテオ君(写真)に、映画「苦い米」の白黒写真をインテリアに使った理由をたずねた。創業4代目というマッテオ君は、祖父から聞かされた話をこう紹介してくれた。
「ノヴァーラは、北イタリアのコメ生産の中心地なので宿泊客も農業関係者が多かった。ホテルを全面改装したときにデザイナーのアドバイスで映画のワンシーンを使うことを決めたそうです」
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土門剛 ドモンタケシ
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『農協大破産』(東洋経済新報社)、『よい農協―“自由化後”に生き残る戦略』(日本経済新聞社)、『コメと農協―「農業ビッグバン」が始まった』(日本経済新聞社)、『コメ開放決断の日―徹底検証 食管・農協・新政策』(日本経済新聞社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、『東京をどうする、日本をどうする』(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
土門辛聞
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