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新・農業経営者ルポ

複合経営とブランド豚に込めたプライド

北海道大空町の後藤忍(47)は、他の生産者への責任が伴う小麦の種子と種豚を生産している。経営スタイルは、家族で畑と家畜の世話を切り盛りするという昔ながらの複合経営だ。一見、古いスタイルだが、効率的な循環型農業という角度で見ると新しい。また、現在は、種豚の特性を活かした「さくら豚」というブランド豚の加工品販売も手がけている。この経営スタイルは、限られた土地で農業を続けるための苦肉の策と言いつつも、胸の内には農業者としての責任感とプライドを秘めていた。それは、本人の資質だけではなく、家族や仕事、地域の人々とのなかで育まれてきたものだった。 文・写真/平井ゆか
後藤農場は、女満別空港を持つ北海道大空町にある。女満別空港は、いまや世界自然遺産に登録された知床半島の玄関口であり、オホーツク圏の交通の要衝として知られるが、もともとは1936年に気象観測用飛行場として開港したのが始まりである。気象条件が比較的安定していることが決め手だったそうだ。そんな話を思い出しながら、6月27日、女満別空港から車で待ち合わせ場所のJAめまんべつに向かった。

模範的たれ! 失敗できない 種子を見せる圃場で管理する責任

空港の周りの圃場には、「畑への進入禁止」と書かれた看板が目につく。この辺りは、小麦などの原種圃や採種圃が多いため、何としてでも外から病害虫が持ち込まれるのを防ごうとしている。後藤も、小麦などの種子を生産する生産者の一人だ。
「私の経営は、大空町の減反や種子生産の歴史に関わる。私の話に間違いがあってはいけないから、JAに話を聞いてほしい」
後藤が紹介してくれたのはJAめまんべつの伊藤雅弘氏。後藤とは大学の同期生だ。後藤が到着する前の間、伊藤氏はJAめまんべつ管区の歴史を教えてくれた。
大空町は、2006年に旧女満別町と旧東藻琴村が合併した町である。旧女満別町はもともと水田地帯で、1970年から始まった減反政策以降、水田から畑作への転換が始まった。当時、一戸当たりの耕地面積は10haを切るぐらい小さかったため、転作するだけでは経営が成り立たなかった。そこで、黒毛和牛の仔牛の繁殖や養豚などの複合経営や、野菜の施設栽培が推奨されたのである。畜産が推奨されたのは、水田を畑に変えるとき、客土と暗渠の整備などの基盤整備とともに、家畜排せつ物を利用した土地改良をするためでもあった。その後、ホクレンが北海道から栽培委託を受けた小麦の原種と採種の産地として旧女満別町を選んだ。種づくりに失敗は許されないため、女満別空港ができた理由と同じく、天候が安定しているという理由からだ。旧女満別町では、古くは、戦前から種イモが生産されていたという記録もあるそうだ。現在は、旧女満別町の全耕地面積約7300haうち、約9%の面積で原種や採種が生産されている。
ここで後藤が到着した。席に着くとすぐにこう言った。
「この農協、きれいでしょう」

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