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土門「辛」聞

「再任拒否」で勇退に追い込まれた奥原正明次官の無念

実に不思議な反応だった。 7月2日付け「酪農乳業速報」が伝えた「奥原正明氏が勇退へ 後任は末松氏か」の報道。普通なら、誰が後任かに関心が集まるが、今回は違った。奥原氏が退任するかどうかに注目が集まったのだ。「勇退」という情報が流れても、「誤報で、どんでん返しがあるのではないか」と不安視するような声もあった。
本稿入稿時点(7月15日)では、同速報が報じた内容を後追いする全国紙はまだないが、各方面にアンテナをめぐらすと「奥原氏の勇退は確定的、後任の選定をめぐりもめたが、末松氏の身体検査で問題がなければ末松氏で決まりだろう」と同速報通りの結果に落ち着きそうだ。
同速報が伝えなかった重要な情報もアンテナに引っかかってきた。
「奥原氏は、官邸に『再任』を求めたが、拒絶された」
これこそ、今回の人事で最大のポイントではないかと思う。「再任」を求めていたかどうかは確認することはできない。ただ奥原氏が任期3年を目指していたのは、疑う余地のない事実である。「勇退へ」という報道が出たことで、結果として奥原氏が期待した「再任」は叶わなかったことになる。奥原氏にとって売り物だった農協改革などから分析してみたい。

「ミスター農協改革」と呼ばれて頭角現す

奥原氏と深く話をするようになったのは、彼が経営局農協課長だった2000年9月のことだった。当
時、千葉県内の農協組合長で県信連の会長だった方から農協課長を紹介して欲しいと依頼された。不良債権処理のことで相談したかったのだ。面会の要望を取り次ぐと、最初は
「千葉県信連のルートで依頼して下さい」とやんわりと断られてしまった。そのルートを使いたくないという組合長の要望を告げると、「分かりました」と承諾してくれた。奥原氏とお付き合いするようになったのはこれが機縁だった。

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